同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

 - 18年の眠りから覚めて -

石井 貴子

  「私はあなたの恵みに拠り頼みました。私の心はあなたの救いを喜びます。私は主に歌を歌います。主が私を豊かにあしらわれたゆえ。」(詩篇13:5-6)

 昨年の5月から、長男がピアノを習い始めました。月に3回、楽しくレッスンを受けています。レッスンの最後のお歌の時間は、3人の子ども達が全員、歌って踊り、次男、長女にとっても良い時間となっています。
 家での練習は、慌ただしさの合間を縫って、15分位ですが、私が息子に付きっきりで続けられています。同居している義両親の助けがあり、小さい子ども達がいる中でも、この時間を確保できていることを感謝致します。
 息子の練習に付き添っていると、私自身の子どもの頃を思い出します。私は幼稚園の頃からバイオリンを習っていました。私はそこまでやる気ではなかったと記憶していますが、母は熱心で、小学校高学年の時、ステップアップのために、厳しい先生の所に通うことになりました。
 第一声、「あなたには、バイオリンを弾くための筋肉が足りない」と指摘されて、それから毎晩、母とストレッチや筋トレをしました。その先生は、技術的なことはもちろん厳しく指導されましたが、演奏する曲がどのような曲なのか、ただ楽譜通りに弾くのではなく、どのように表現したらよいのか考えなさい、とレッスンの中でよく仰っていました。感性を磨くために、映画を観たり、本を読んだりすることもよく勧められました。
練習せずにレッスンに行った日には、「今日の分のお月謝はいらないから、もう帰りなさい!」と叱られた苦い思い出もあります。とても厳しく、恐ろしく、しかし情熱的な先生でした。
 レッスンは、常にプレッシャーを受ける辛い時間でしたが、先生の厳しい指導の内側には、「この子の演奏は、ここを直したらもっと良くなる!」という思いがあることを、徐々に捉えられるようになりました。そして練習を重ねて、課題をクリアした時に、より良い演奏ができた!ということも実感しました。
 改めて、学生の時にそのような厳しい環境にいたこと、課題を乗り越える経験ができたことを、感謝致します。  その後、中学2年の時にバイオリンを辞めてから教会に導かれるまで、私は楽譜を見ることや、楽器を弾くということに18年間のブランクがありました。その18年の間は、「バイオリンを習っていたことは、結局何の役にも立たなかった」と思っていました。
 しかし主人との結婚をきっかけに教会に導かれ、はじめは聖書のことも、キリスト教のことも、何も分かりませんでしたが、楽譜は読めたので、讃美歌は歌うことができました。お祈りもお証もできませんでしたが、「私は賛美することができる!」という思いは、教会に来たばかりの頃、心の中で支えになっていました。
 教会の中では、ティアーズのハンドベルや、メサイヤコーラスなど、賛美をする機会が多くあります。その所においても、先生方や姉妹方に指導して頂きながら、練習を重ねていくうちに、一つ一つ越えさせて頂きました。
 私は、間違いなく、子どもの頃の経験は、神様が私に備えて下さったものと信じ、感謝致します。そして、このことを思うときに、神様の計り知れないご計画の中に自分がいるのだということも思わされます。
 この讃美歌は、どのようなことが歌われているのか、それをどう表したいか…
かつてレッスンで言われたことは、今でも心の中にあります。18年経ち、自分の中だけで眠らせておくのではなく、今こうして、かつての経験を活かす機会が与えられていることを感謝致します。
 神様に喜んで頂けるように、これからも賛美し続けたいと思います。そして、神様が与えて下さったものを、私だけのもので終わらせるのではなく、3人の子ども達にも伝えていきたいと願っています。  

(仙台聖泉キリスト教会 会員)