同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 旗ざおの上に掲げられた蛇 —


「だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」(ヨハネ 3:13-15)

 このみことばは、イエスがニコデモに語られたものです。私たちはイエスの十字架上での死を知っていますから、イエスが言われていることが、ご自身の十字架であることが分かります。
 イエスが引用されているもとの記事を見てみましょう。イスラエルがエジプトから出てきて、荒野を旅していたときのことです。「彼らはホル山から、エドムの地を迂回して、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中でがまんができなくなり、民は神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」そこで主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。民はモーセのところに来て言った。「私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください。」モーセは民のために祈った。すると、主はモーセに仰せられた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。」(民数記 21:4-9)
 イエスはニコデモと「いのち」と「永遠に生きる」話しかしていませんが、その前に「罪」と「死」があります。
人類の前に蛇がやってきたのはエデンの園においてでした。蛇にだまされて神の命令に背いてしまったことは、燃える毒蛇にかまれたようなもので、その時死が人類に入ってきました。
 イエスがなぜ「蛇」で表されたのでしょうか。 「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(コリントⅡ 5:21) 父なる神は御子イエスを「罪」とされたのです。罪は十字架上で死に、復活によって「永遠のいのち」となりました。 その永遠のいのちは、十字架を仰ぎ見て信じるひとのものです。