同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

 - 神のご計画にわが家を委ねる -

岩本 献一

  「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──主の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ書 29:11)

 教会の皆様はご存知の通り、私達の家庭には去年から様々な変化が訪れました。妻の胎に新しい命が与えられたこと。その恵みが通常の倍であったこと。現在私はその事から会社を立ち上げることを検討したり、将来に向けた新しい働き方を模索中です。
 また教会内でも去年よりも幅広く裁量を持たせて頂き、計画段階から色々なことに関わらせて頂いています。  幼い頃から教会に通っていた私は「運命」という言葉は創作の中のもので、この世界には「神様の計画」のみが存在するという事を教えられてきました。
 計画の中には「構想」「行動」「目的」「時期」といった要素があると思います。
 ありがちなのが計画段階で「構想」のみに終始し、行動せずに終わってしまうといったパターンでしょうか。まだ若いと言われる私でも、年を経るにつれてこのパターンが増えてきている事を感じます。
 また「行動」までの内容が正しくても、正しい「目的」が設定されていないため、やってはみたものの何が得られたのかよくわからないというのもまたありがちです。
 ここまでが上手く行っていたとしても「時期」が悪く失敗するというパターンもあります。この時期というのは見逃しがちだったり、見逃していなくても正しくなかったという事に後から気づくやっかいなものです。
 このような要素をすべて完璧にコントロールして計画をする事は、大きな仕事や、重要な事柄になればなるほど難しいものです。
 しかし、クリスチャンである私達はこの「計画」全体を神に委ねる事ができます。もちろん知恵を出し行動をする事は神様から私達に求められていることです。ですが、この知恵も力も神様からいただく事ができると聖書にあります。
 となると、私達に対する計画はどれだけ「委ねる」事ができるかという事に成功がかかっていると考えられるのではないでしょうか。
 先日妻が教会学校のお話で、奉仕で緊張する時に「神様隣に立ってください、手を支えてください。」と祈っていたと証していました。これは本当に神に委ねるためのお祈りだと思わされました。
 私は妻との結婚の時に「私と妻と神様の3人で歩んでいく。」という事を宣言させて頂きました。それが今度は「5人」での歩みになります。妻の祈りに倣い、神様に私達家族の隣に立って頂くよう祈りながら、神の計画を進めていきたいと思います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)