論説
— 創世記17章 ー
<聖書を読みましょう>
「アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現れ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」アブラムは、ひれ伏した。神は彼に告げて仰せられた。「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。」(創世記 17:1-6)
創世記17章は、「アブラハムが神を信じ、その信仰を義と認められた」ことが書かれている、注目される箇所です。
まず、神はアブラハムに一つの要求をされました。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」
「全き者」であること、これはイエスによって私たちにも要求されました。
「だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」(マタイ5:48)
アブラハムに関する記事では、「信仰による義」だけが記憶され、他は自分と関係がないように思っているかも知れません。しかしそうではありません。イエスが私たちの信仰の手本、見習うべきお方であるのと同様、アブラハムも私たちの先を歩んだ信仰の人として見習うべきことがたくさんあります。
次に神は、アブラハムと契約を結び、祝福の約束をされました。
「わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。・・あなたは多くの国民の父となる。」
その内容は、アブラハムの「子孫を増やす」こと、「多くの国民の父となる」ことでした。
イエスがこの世においでになる通り道となったのはイサクとその子孫、イスラエルだけですがアブラハムから生まれ出た民族、国はたくさんあります。
神が次になさったことはアブラハムの名前を変えることでした。それまでの名は「アブラム」でしたが。この時から「アブラハム」と彼の名を変えなさいました。
神は彼との契約の印として「割礼」を受けさせなさいました。
また彼の妻「サライ」の名を「サラ」とかえなさいました。
ヘブル語に通じているといいのですがこのままに。世はインターネットの時代、すぐ解説がでてきます。どれが正しいかは不明ですが。