論説
— 創世記10章 —
<聖書を読みましょう>
「これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた。」(創世記 10:1)
ノアの息子たち、セム、ハム、ヤペテを概観しています。以下、こうであろうという諸説があって明確に決定できるのではありませんが参考になるでしょう。
「ヤペテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラス。ゴメルの子孫はアシュケナズ、リファテ、トガルマ。 ヤワンの子孫はエリシャ、タルシシュ、キティム人、ドダニム人。これらから海沿いの国々が分かれ出て、その地方により、氏族ごとに、それぞれ国々の国語があった。」(創世記 10:2-5)
セム、ハム、ヤペテと並べられていますから、恐らくヤペテが一番年下であっただろうと思われます。しかしここではヤペテから書かれています。「セムはヤペテの兄であった」と書かれているのですが、順序は逆だという説もあります。ヤペテの住んだ土地は概ね、今のヨーロッパを中心としたユーラシア大陸であったと考えられています。アーリア人と呼ばれ、インドヨーロッパ語族などと言われているようです。ノアが「神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。」(創世記 9:27)と述べたことは、ヨーロッパにセムの宗教であるキリスト教が伝えられて成就したと思われています。
「ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン。 クシュの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカ。ラマの子孫はシェバ、デダン。クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。 彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ」と言われるようになった。 彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。ミツライムはルデ人、アナミム人、レハビム人、ナフトヒム人、 パテロス人、カスルヒム人──これからペリシテ人が出た──、カフトル人を生んだ。カナンは長子シドン、ヘテ、 エブス人、エモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アルキ人、シニ人、アルワデ人、ツェマリ人、ハマテ人を生んだ。その後、カナン人の諸氏族が分かれ出た。それでカナン人の領土は、シドンからゲラルに向かってガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムに向かってレシャにまで及んだ。 以上が、その氏族、その国語ごとに、その地方、その国により示したハムの子孫である。」
ニムロデは注目されている人物で、ニムロデの地はシヌアル、そこにバベルの塔が建てられ、後にバビロンが建てられました。バビロンは反逆の町の象徴です。
「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣くつ、あらゆる汚れた、憎むべき鳥どもの巣くつとなった。・・・また、ひとりの強い御使いが、大きい、ひき臼のような石を取り上げ、海に投げ入れて言った。「大きな都バビロンは、このように激しく打ち倒されて、もはやなくなって消えうせてしまう。・・・。」(黙示録18:1-24)
クシュ人はエチオピア、ミツライムはエジプト、シドン人はフェニキヤ今のレバノンです。ヘテ人が長くイスラエルと戦い続けたことが記されています。
「セムはエベルのすべての子孫の先祖であって、ヤペテの兄であった。セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクシャデ、ルデ、アラム。アラムの子孫はウツ、フル、ゲテル、マシュ。 アルパクシャデはシェラフを生み、シェラフはエベルを生んだ。エベルにはふたりの男の子が生まれ、ひとりの名はペレグであった。彼の時代に地が分けられたからである。もうひとりの兄弟の名はヨクタンであった。ヨクタンは、アルモダデ、シェレフ、ハツァルマベテ、エラフ、ハドラム、ウザル、ディクラ、オバル、アビマエル、シェバ、オフィル、ハビラ、ヨバブを生んだ。これらはみな、ヨクタンの子孫であった。 彼らの定住地は、メシャからセファルに及ぶ東の高原地帯であった。 以上は、それぞれ氏族、国語、地方、国ごとに示したセムの子孫である。 以上が、その国々にいる、ノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった。」
シェバの女王(列王記Ⅰ 10:1)、オフィルの金(列王記Ⅰ 9:28)などの名が知られています。前に読んだ聖書の箇所に、エデンから流れ出た川、ピションが、ハビラの全土をめぐる(創世記2:11)とありました。