論説
— 創世記11章 — <聖書を読みましょう>
「さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。」(創世記 11:1-9)
人類にとって非常に重要なできごとがおきた記録がこの記事です。
神は地の全面に広がれ、「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。」(創世記 1:28)とお命じになったのですが、人間はそれに反抗し、「われわれが全地に散らされることのないようにしよう」としました。
そして地上で最初の権力者となった「ニムロデ(創世記10:8)の地」シヌアルに巨大な塔を建ててそこに集まっていようとしました。それがバベルの塔です。後のバビロンも近くにあります。みな地上の権力者ニムロデに発しています。彼らは建築に適したレンガを作りました。エジプト人は焼かない「日干しレンガ」を使いましたが、彼らは石に匹敵する堅い焼いたレンガを使ったことが記されています。レンガを結着する材料は「瀝青」で、アスファルトのことです。彼らの仕事ははかどり、かつ頑丈な塔ができたことでしょう。
神がその働きを止めさせるためにとられた方法は人間の言葉を多くの言語に変
えてしまうことでした。それで人間はそこを離れて地の全面に散っていきました。
人間の言葉を一つにしようという試みは決して成功しません。新しい言葉をつくると、言葉が一つ増えるだけです。
もうひとつ、人間が多くの言葉であることは、人間にとって非常によいことなのです。人間がひとつの言葉に戻るなら、バベルの塔の再来が起きるでしょう。
10節から26節までがセムからアブラムまでの系図です。
27節から32節まで、アブラムの父テラについて書かれています。テラもカナンの地に行くつもりでしたが、アラム人の地となったハランまで行って死にました。
アブラムの妻サライについて書かれています。彼はサライを妹(異母妹)だと言っていますがこの記事だけではわかりません。