同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 創世記12章 — <聖書を読みましょう>

「主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、   わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」 アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがハランを出たときは、七十五歳であった。」(創世記 12:1-4)

 アブラハムが、キリストのこの世への来臨の通り道となり、人類の救いの源となるために神に召しだされた記述です。ヘブル人への手紙の記者は、
「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」 (ヘブル 11:8)
と述べてアブラハムの信仰について語りました。彼は神に一切をお任せし、神の命令に従ったのでした。
彼がこの召命を受けた時の年齢が記録されていて、若いときではなく「七十五歳であった」とあります。神の時は不思議です。
アブラハムやヤコブについての「神の選び」は、「職務への選び」であって、「救いへの選び」ではありません。これらの記事を神の一方的な選びの例として「救いへの選び」の解釈をしてはいけません。
「アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、ハランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地に入った。アブラムはその地を通って行き、シェケムの場、モレの樫の木のところまで来た。当時、その地にはカナン人がいた。そのころ、主がアブラムに現れ、そして「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。」(創世記 12:5-7)
 アブラハムはヤコブの時に問題になったシェケムにやってきました。神はこの地をあなたの子孫に与えると言われましたが、彼は神にお任せし、祭壇を築いて礼拝したこと以外には何もしませんでした。ヤコブはその地の人々から土地を買いました。
アブラハムは神の時を、神にお任せして、待っていることのできた人でしたが、ヤコブはそうではありませんでした。
「彼はそこからベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は主のため、そこに祭壇を築き、主の御名によって祈った。」(創世記 12:8)
ヤコブが神にお会いしたベテルにもアブハムの足跡がありました。