同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

子を持つことの責任を実感して

齊藤 恵一

「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなた方の報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。」(マタイ 5:11-12)

 7月4日に第3子が我が家に生まれようとしています。
与えられたこと感謝しております。
私自身はそもそも子どもはあまり作らない方が良いと思っていました。 なぜかというと、まず自分自身が子どもに対して信仰者としてどう接することができるか、そしてこの世の中で生きて行く子どもたちを支え続ける事が出来るかどうかの不安とまた大きく言いますと、この世の中で繰り返されている人を蔑んで自分は良い思いをしようとしたり、嘘をついてその場から逃げようとする人や自分も含めですが、そういった連鎖を終わらせたいと思っていました。

 しかし家内は違って子どもがほしく、子育てをして、子どもも同じ信仰者として育て上げたいという思いがありました。私はそんな家内の信仰の姿を見て、子どもを授けて頂き、家内と子育てをしていきたいと思うようになりました。また同時に、神様によって与えられようとしている喜びを自分の力不足や世の中などのせいにして狂わされていいものだろうか。卑屈になって信仰生活を歩むことを本当に神様は望んでいるのだろうかと考えた時に、今思うのは神様が親だとするとそんなことは望んでいないことと思います。

 世の中の変化は凄まじくなっています。昨日正しかったことがすぐに覆されてしまう。信頼してきたものが手のひらを返してしまう。それに対してNOというと服従させてこようとします。
こんな世の中で子どもを育てていくには自分も覚悟を決める必要があると思いました。それは世の中に迎合して家族のくらしを守っていくっていう覚悟ではなく、信仰者としてどう生きるかの覚悟が必要だと思いました。

 子ども達と話していたり、音楽をかけて歌ったり踊ったりする時間が今はとても愛おしい時間となっています。それが明日も頑張ろうという気持ちになります。そういった子どもたちの笑顔のために、イエスがそうであったように私も十字架を背負わせていただこうと思います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)