同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 変わることと変わらないこと ~ 

石井 勝

「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」(イザヤ書 40:8)

 最近のことですが、私はある資格の試験を受験しました。私にとって試験を受けるのは十数年ぶりの出来事でした。
 きっかけは、私の勤める会社が、企業として、あるセキュリティ系の認証を得るために、その要件の一つとして、特定の資格を社員が一定数保有していることが望ましいということで、社員に対してその資格の取得を奨励したためです。
そして、合格すれば、資格取得の報奨金が通常の2倍になるというニンジンもぶら下げられて...
 しかし、私が試験を受ける決め手になったことは、以前は資格試験というと試験日は日曜日が主流でしたが、コロナ以降パソコンでの受験が主流となり、市内のテストセンターに行けば、曜日を問わずに、試験を受けることが出来るようになり、日曜日の集会を守ることができるためでした。
 また、これまで、試験勉強というと「時間を確保して、机に向かって、問題集を開いて...」
というものでしたが、今は、スマートフォンに問題集のアプリをインストールしておけば、場所を問わず、ちょっとした空いた時間に勉強をすることができるので、私の置かれている生活スタイルに合った試験勉強をすることができます。しかも、アプリで問題を解いていくと、苦手な分野や傾向を分析してくれるので、効率的に試験対策をすることが出来ます。
 私が現役だった時と比べると、この「試験」一つとっても考えられないくらいの進歩を遂げ、時代が目まぐるしく変わっていくことを感じずにはいられません。

 私たちの教会でも、様々なことが変わっていきました。
特に近年、「福音宣教」という新たな命題のもと、求道者の方々のニーズを模索しながら、様々な集会等が開かれるようになり、豊かに働きがなされています。

 一方で変わらないこともあります。
その一つが礼拝だと思います。私の記憶がある限り、通常礼拝のプログラムは一貫しており、まず、週の初めの聖日に、相応しい服装と姿勢で礼拝を捧げ、語られるメッセージより信仰のを糧を頂くことを私たちの教会では長年大切にしています。
私は生まれてからこの空気を吸いながら、育ちましたので、礼拝の神聖さを肌で感じています。ですので、礼拝の司会の当務が与えられてからは、その御用の時、特別な緊張感を覚えます。
先代の山本光明先生が晩年に
「礼拝の司会者とは、礼拝が最初から最後まで滞りなく進むことに徹することが大切である」と語っていたとお聞きして、そのことを意識しながら当務にあたっています。

 変わるべきことは変革しつつ、代を重ねて大切にしてきた変わらない真実を色焦ることなく継承すること。それこそを信仰の土台としてこれからも歩んで行きたいと思います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)