JSF&OBの部屋
キリスト者の一致(7) ~リバイバル~
石井 和幸
まず著者は、「からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みがひとつであったのと同じです」(エペソ4:4)のみことばを、使徒の働き2章の五旬節(ペンテコステ)に起きた聖霊降臨と結び付け、聖霊の働きと教会の一体性について考察を開始していきます。そして、教会を一致させる特別な聖霊のみわざとして「リバイバル」をとりあげ、次のように定義しています。『…リバイバルとは、使徒の働きの2章に記されているような、エルサレムでペンテコステの日に起った出来事が、程度の差はあるものの、繰り返されて起るものと考えたい。それは、一堂に会している人々に、神の霊が注がれる、または注ぎ出されることによって起る。それが、あるときは、一つの教会であったり、ある地域や隣の地域であったり、場合によっては、地方全体で起ったりする。一般的には、その結果、教会が新しいレベルの経験や理解に引き上げられる。それと同時に、教会外の多くの人々が、また教会内の信仰生活が形式化している人たちが罪を悟らされたり、ある者は回心し、主イエス・キリストの救いを知るに至る。』…さらに著者は『このような理解をはっきりさせておくことは重要である。というのは、伝道的なキャンペーンをリバイバルと見なしたり、宣伝することが不幸にも現代において多くあるからである』と読者に注意を促します。例えば「〇月〇日 リバイバル集会開催」と企画をし、ポスターなどを作成して集会が開催されたとしても、そこで実際リバイバルが起こるかどうかは、人の企画設定による結果ではない、ということです。同時に著者は、リバイバルがなされるようにと心を合わせて祈り求める者たちに、予期しない時に、繰り返し御業を注がれる事実も明らかにしています。自分自身は神の前では罪深く無力であることを悟り、人の能力ではなくそれぞれに個別に与えられた「神からの賜物」が用いられるよう一致して祈るとき、リバイバルがもたらす結実の一つとして、『人々が、教理や真理を、それまでとは全く違った仕方で理解するようになる。それだけでなく、彼らは、以前にはなかったほどの喜びに満たされるようになり、確信に満たされ、神との確かな交わりにあるという思いで満たされる』と著者は紹介し、アメリカやイギリス各地で起きたリバイバルの歴史を振り返りながら、信仰者が主のゆえに一致して、謙遜になり、聖霊の御業が教会に働かれることを祈り求めていく大切さを説いています。
私自身、今年は病を通してもう一度神と私の関係、家族や教会との関係を見つめ直す機会が与えられました。(もしかしたら自分の地上での生涯はもう長くないかもしれない)…と思ったこともありました。多くの祈りに支えられて退院後、もう一度神の家族、キリストの体なる教会の器官として教会と家族に仕えることが許されたのは、神の憐みでありました。決して自分の努力で得た実績や能力があるのではありません。自ら土の器に過ぎない者として神の前に遜り、家族や隣人へ与えられた神からの賜物を喜び、キリストの体に属する全ての人を神が用いられるという真理を、教会で成されている一つ一つの御業を見ながら、改めて教えられております。
それらは、今までもすでに示されたイエス・キリストの福音・神からのメッセージでありますが、聖霊の導きを通して別な角度から捉える機会を与えてくださったことを神に感謝しております。
なお、神の御旨にふさわしく教会と家庭において神のみわざが成されていくように、祈り、信仰の課題に励み続ける者でありたく思っております。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)