同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 迎えた1年の歩みに神の導きを願う —

「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。 私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」(詩篇 139:23-24)

 新しい年を迎えました。
 皆さんそれぞれが、この1年に対する思いをお持ちのことでしょう。その土台に、詩篇の139篇を黙想するときっとよい示唆が与えられると思います。
 まず、神が自分をご存じであることが述べられています。神は私の存在、私の行動、私のこころの思い、その人生、話すことば、それらすべてをご存じであって、
「(神よ)あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。」(詩篇 139:5-6)と詠われています。イエスは、
「あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。」(マタイ 10:30)
と言われました。そのように神は私たち一人ひとりをご存じなのです。
 2番目の段落には、私たちが神の前から逃れることができないことが述べられています。
「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。」(詩篇139:7) 天・地・よみ、そのどこに行っても神がおられる、この地上の遙かかなたに行っても、暗やみの中に隠れても、そこに神の目があることが詠われています。
 3番目の段落には、神が自分の創造者であることが述べられています。そして神が母の胎にいるときから、自分の人生のすべてを、神の前の書に書き記したことがのべられています。
 4番目の段落として、それらのことが分かるとき、神のみ思いの壮大さを思います。
「神よ。あなたの御思いを知るのはなんとむずかしいことでしょう。その総計は、なんと多いことでしょう。」(詩篇139:17)  5番目の段落に、この世の悪人からの分離を願う記者の願いが述べられます。悪人とは、神を憎む人々であるからです。
私たちがこの世から分離することが、神のみ心です。「それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」(コリント II 6:17-18)
 最後の段落が冒頭に掲げたみことばで、神への導きの願いが詠われています。そのように、私たちのこの1年に神のお導きをいただきたいと思います。

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