同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 息子の礼拝のピアノ —

森田 初実

「また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。」(テモテ I 6:19)

 4月19日の礼拝で、長男が初めてピアノの伴奏の御用をしました。
 私は仙台教会に迎え入れられて20年が経ちました。その間、私もピアノの務めをさせていただいてきましたが、そのどの時よりもこの日は緊張をした特別な礼拝でした。彼が弾くピアノの音からも緊張しているのが伝わってきましたが、頌栄まで大きな間違いもなく無事終わりました。
 振り返ってみますと、彼が中学2年生の頃に、礼拝の特別讃美のピアノの伴奏を盡子先生から頼まれたのがはじまりでした。それから2ヶ月に1回ピアノを弾く機会が与えられました。
 しかし、中学3年生になると受験勉強を理由に「これからはやりません」と先生にお断りしてしまいました。そしてそのまま1年ぐらい経ち、高校に入学した夏ごろにまた盡子先生から声をかけていただき、又ピアノを弾くことが許され、祈祷会での御用が与えられました。もともと彼はピアノの実力はあまりなく、言われた曲をすぐその場で弾くことができないので、私が選んだ賛美歌を練習し、それを先生に伝えて讃美していただきました。ですから、最初は彼がピアノの担当の時には、いつも同じ讃美の祈祷会だったことも思いかえされます。
 けれども、数年過ぎてみますと、彼が容易にピアノを弾けなかったことが、かえって良かったと思えます。私にとっても彼との取り組みがありましたし、彼にとっても与えられた御用を大切にすること、そしてなによりもいつもほとんど毎日のように私の家では讃美が流れているのです。
 特にこの礼拝のピアノの御用を牧師から任命されて準備を始めてからは、毎朝会社に行く前に5分から10分程度ですが讃美歌を練習してから出かけていきます。私が朝の食事などの支度をしている時の讃美は特別な神様の恵みを感じさせられます。
 礼拝のピアノの前に息子が座っている姿は、何かと比べられるものではありませんが、受験を通過した時よりも、就職が決まったときよりも、私にとっては喜びの時でした。
 彼の集会での姿勢には、まだまだ弱いところが見られますが、神様と教会はそのような者にも大切な務めを与えてくださっていることに心から感謝すると共に、慣れていくことによって心が緩んでしまわないように見守り続け、励ましていきたいと思っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)
 

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