同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

あなたの誇りは何ですか?

石井 和幸

「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」(コリントII 12:9)
「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ 10:42)

 先月私は、出張で一週間、東京で仕事をするときがありました。5泊6日、妻と娘から離れた生活をしました。毎日、夜8時頃仕事が終わると、夕食を済ませホテルに帰る・・・次の日朝に出社するまで、ひとりになります。2日目までは何気なく思っていましたが、3日目からは、「ひとり」であることにかなりの寂しさを覚えました。何も、夜8時から翌朝まで・・・ホテルで風呂に入って寝るだけでしょ?と思われるかもしれませんが、仕事を終え東京のオフィスを出て、ひとり夜の街を歩く瞬間から、孤独感が私を取り巻くのです。日記には「ひとりだと寂しい。これが結論。確かに家庭内の役割から解放された感はあるが、(その分妻が苦労している) 食事は偏るし、やっぱりいかに妻が、また廻りの人たちが普段自分に気を配ってくれているかが身に染みる。・・・テレビ電話で妻をねぎらい、真実にも声をかけた。私『お母さんのいうこと聞いておりこうさんにしてるんだよ』 真実『うぅ。』  娘の声を聞いて胸がいっぱいになる。・・・もちろん、家族のためにこうして東京出張も頑張っている。収穫も多い。でも一方で自分はやっぱり、ひとりじゃなく、愛する妻や娘あっての自分であることを実感した。」と書きました。・・そんな想いを抱くなかで、聖書を開き、神に祈る時がかけがえのない時間になりました。そして、自分にとっての誇りは何であるか?を日々問いつつ、誘惑に立ち向かい、自らを制し、結婚に備えていた独身時代(つい2年前のことです)を思いおこしました。
 その週の土曜日、午前中で会議を終えた私は、いちばん早い新幹線で仙台に帰りました。帰宅すると、娘がとびきりの笑顔で私を迎え、出張前日とまるっきり同じように私とじゃれあいました。私は涙をこぼしました。主なる神は、この者にも『家庭』を与え、その使命と責任に身をおくことをよしとされることを実感しました。
 数日後、岡山の工場から、品質保証部の社員、Aさんが仙台に出張してきました。私は丸一日、Aさんと仙台の得意先を廻り、時間が余ったら松島観光に案内するように仰せつかりました。・・・Aさんとは電話で数回話したことはありましたが、初対面でした。一日、Aさんとどんな話になるだろうか・・・営業マン同士であれば、お互いどんな話題でも合わせようとしますので、わりと気兼ねなく話せます。しかし、Aさんは根っからの営業マンではありません。仕事の話はともかく、松島に観光して、彼が何に興味をもってくれるのだろうか・・・そんな思いを抱きつつAさんと一日過ごし、結局彼と盛り上がった話は、仕事のこと・・・特にこれからの体制と方法について、それとお互いの子ども、家族についてでした。そして彼が観光していちばん興味をもったのは、有名な寺の敷地内にあった、昔の人が作った洞穴群・・同じくもの作りに携わる者として、感銘をおぼえていました。食事に関しては、まるでグルメリポーターのようなコメントをしていました(笑)。そんなAさんの姿を見て、私は、(そりゃそうだ・・・この人にとって大切なものは、仕事と家庭であって、それ以外の事柄に関しては気持ちを入れ込む必要がないし、余計な労力を払う気持ちもないのだ)と思いました。
 私の日常生活・・・様々な情報が氾濫し、仕事と初心者マークの子育てに追われるような毎日です。私の娘は、親のしていることに関心を持ち、大きな、また鋭い眼で私たちの姿を見ています。親の祈りや讃美はどういったものか、何を喜び、悲しみとしているか、罪に対する態度、そして親の信仰、誇りとしていることはどれほどのものであるのか。それらを将来子どもが迷わずはっきりと悟ることが出来るようにと、その取り組みの中になお身を置きたく思います。
 「あなたの誇りは何ですか?」・・・それは借り物でもなく、受け売りでもない、主なる真の神が私とその家族に、恵みと導きを示してくださることです。その道は険しく、困難を伴うこともありますが、主に栄光を帰し、なお主を誇りとする奥義に与るものでありたく願っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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