同労者

キリスト教—信徒の志す—

人物伝

- 山本岩次郎牧師の思い出(11) -

秋山 光雄

第2部  荒川教会週報抜粋集(つづき)

(今回は、本誌124号に「決死の祈祷」、「捧げられたイサク」という項目で書かれた神に応えていただいた山本岩次郎牧師の祈祷に対応する記録です。・・編集委員註)
【1953(昭和28)年12月13日】奨励

 最近静岡に居る子供(現・山本光明牧師・・そのとき静岡のお茶屋さんで働いていたとのこと)より『聖日の説教がピンとこないものですから矢張り淋しい。如何に集会に出て居る事が幸であるかが解りました』と云うたよりに接した。IGMの教会に出席して居るのではないが聖日と祈祷会に出席しているのであるが魂の糧を頂くに非常に困難のようで二週間程前から松村牧師の早天に朝五時起床で出席し始めたようである。
 荒川を離れて後の霊的状態の変化、進歩を見せられて非常に感謝を憶える事であるが此手紙により教会の講壇の有方と云うものを深く考えさせられた。新教教会の生命は何と云っても其講壇より『神の言』が語られる処にある。『旧教(カトリック)教会の中心は其礼典にあるが』特に聖日講壇に於いて此事が為されなかったら其損失は偉大である。之を他の事で間に合わすものは地上に何者もない。幾十回聖会が重ねられたとしても福音的人格を通じて為される説教が欠けて居たとしたらどんなであろう。『パンに乏しきに非ず水に渇くに非ずエホバの言を聴くことの飢饉』旧約アモス8の11は神の民にとりては致命的な問題である。

【1954(昭和29)年4月25日】消息欄

 △復活節礼拝は雨天であったが67、8名と云う処で本年最高。願くば常時も60-70位まで本年は達せしめ度きもの。いよいよ会員一人一人が集会を重んじ責任を感じ礼拝を守るよき習慣を付け度う御座います。伝道会は大雨のためか40名、しかし終日幸なイースターであった。
礼拝后、高橋医院に両足を電車で切断された小林さんを訪ひ又院長、夫人と共に少時お話をした。
 △21日の祈祷会は祝福され油井恵二兄の証しより罪の悔改めを語り10名程の者、恵の座に出て己々之を告白して祈った。最近、罪の悔改めがあざやかに行われつつあり群れの中に聖霊の御働きを憶えしめられる。
 △主牧は既に1ヶ月以上も早朝(4時)に起きて祈り始めている。
祈りは一つ一つ応えられつつあり、やがて真昼の如く明かに業の為されしを証しする時の与えられる事を信じています。尚19日は神学院での年会の為の祈祷会に出席した。尚22日は川口教会の会堂の事で川口に行って色々ほん走した。お祈り下さい。
 △中島兄しばらく休養のために郷里に21日夜出発。

【1954(昭和29)年5月23日】消息欄

 △18日は神学院入学式。牧師、夫人は出席。新入生15名の中に秋山、光明、継実兄姉の在るを見て大いなる感謝を憶えた。主が彼らを助けて学業を全うせん事を教会全体が更に憶えてお祈り下さい。
 △婦人伝道師は年会後、引続き神学院特別聴講生として通学を始めました。御加祷下さい。

 (以下次号)

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