同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 発想の転換 —

 大学4年のはじめに、所属の研究室が決められた。私ともう二人が一緒であったが、そこで卒業研究をし、卒業論文を書くのである。 配属になった研究室で取り組んでいたテーマのひとつに、「歯車の転造」というのがあり、私たちはそれを研究することになった。歯車の転造というのは、丸い鉄の円板を歯車の形をした工具に、その円板と工具とが歯車の歯がかみ合うのと同じように回しながら押しつけていくと、円板が歯車になってしまうという加工法である。ついでに説明しておくが、転造という方法で作られている代表的なものは「ネジ・・ボルト」である。かつては、旋盤で削りだしてネジを製作していたのであるが、今はほとんどすべてのネジが転造品である。
 さて、研究室にゆくとさっそく教授がこの方程式を解いてごらん、と私たちに問題を出した。その式は歯車を転造する時の工具の素材への押し込み量と、素材が変形させられて盛り上がってできてくる歯の高さの関係式で、その式f(x)=0となるところで、歯が完成するということであった。f(x)=0になるxの値を求めよという問題である。その式f(x)の中身は、xの2次式の中に三角関数つまりsin(x)、cos(x)という類が混ざったものであって、「超越関数」という厳めしい(いかめしい)名前がついている。
 私たちはすぐ、xに適当な値をいれて、タイガー計算機をがちゃがちゃ回して、そのxに対するf(x)の値を計算し始めた。・・まだ電子計算機のない時代であった・・。私たちのとった方法は、xの値を少しずつ大きくしていくか、小さくしていくか、次々と変化させながらf(x)の値を求めて、f(x)の値が+から-、あるいは-から+に変わるところを見つけ、その間を狭めていくと、必要な精度のxの値が見つかるということであって、数値計算法と呼ばれている。1時間ほどで答えを出し、「先生、できました」・・と答えを持って行ったのであった。 それから20年ほど経って、その教授と卒業研究の仲間3人が顔を合わせる時があった。するとその教授がこう言ってくれた。「あれからずっと毎年研究室に学生が配属になるたびに、同じ式を解いてご覧といってあずけたのだが、解いてきた人は君たち以外にいなかったんだよ。」と。 他の学生たちは、きっと因数分解とか、数学の公式をさがすとかしか思いつかなかったのに違いない。私たちがやった作業は難しいことではなく、中学校で習う数学で十分なのである。 大切なことは発想で、数学の発想から工学の発想への転換とでも言えるかも知れない。
 福音の世界においても、特に信仰を生活の中にあらわそうとすると、「解」つまり「どうするのか」を求められるが、それは発想のいかんにかかっている。大切なことは「この世の発想」から、「福音の発想」への転換である。この世の発想では、どんなに努力しても神の喜ばれる答えは得られないのである。

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