同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 万人祭司・万人予言者・万人王(第89回) —

野澤 睦雄

・・クリスチャンはみな預言者である。みな祭司である。また王である。キリストにあって、神は私たちを一体とし、そして王位に着けられた。
・・ C.E.ジェファソン(「教会の建設」から引用)

4.おわりに

 本稿の書き出しに、「新約における牧師職に関する考察」という内容の1項を入れると記載しましたが、牧師職については、随所に述べていますので、改めて項立てすることはやめることにいたします。
 祭司、預言者、王について考察してきましたが、新約ではもうひとつ「僕(しもべ)」という職位を取り上げるとよいかも知れません。この僕については、今は論じませんが、また別の機会があったら皆さんと一緒によい聖書研究のテーマにできることでしょう。僕イエス、僕パウロ、は私たちのよく知っていることです。
 聖書にそう書かれているから、救いを頂いた私たちすべてが、祭司であり、預言者であり、王であることを当然のこととして論じてきましたが、読者の皆さんの納得となったでしょうか。
 この三つの職務は、旧約聖書の方がよりはっきりと分かるように記述されていると思います。繰り返し説明してきましたが、旧約は新約の内容を示すひな形なのです。
「その人たちは、天にあるものの写しと影とに仕えているのであって、それらはモーセが幕屋を建てようとしたとき、神から御告げを受けたとおりのものです。神はこう言われたのです。「よく注意しなさい。山であなたに示された型に従って、すべてのものを作りなさい。」(ヘブル8:5)
このみことばは、旧約の祭司が仕えていた幕屋と神殿は、新約におけるもののひな形であるといっているのですが、聖書の各所の記事から、旧約全体が新約の時代に到来するものの、ひな形、写し、影であることが分かります。
 雑誌の連載という性格上、ほんのすこしずつしか掲載できませんから、ずいぶん長い期間がかかりました。それで、次回から記載したことの要点を整理して本稿を終えていくことにしたいと思います。

(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会員)

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