同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

子どもと聴く、野外伝道コンサート

石井 和幸

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。 すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、 いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。」ピリピ2:13~16

 我が家の1歳半になる長男は、Wiiというテレビゲームの「チャンバラ」でよく遊びます。「めん!めん!」と言いながら相手を倒していくのですが、どうしてもボス級の敵が現れる寸前で負けてしまいます。そうなると大抵、お姉さんである長女が来て、「私にもやらせて!」と言われコントローラーを奪い取られます。また、長女が先に遊んでいるときは長男が「僕もやりたい!」と言わんばかりに主張し、やがてケンカになるのですが、最近は、長男がじっとお姉さんがチャンバラゲームをしている様子を眺め、勝つと一緒に笑って喜んでいます。その姿は、どうすればチャンバラゲームで勝つことが出来るのか、考えているように見えました。
 5月19日、仙台市の榴岡公園野外音楽堂で、野外伝道コンサートが行われました。若い兄姉が心をこめて讃美している姿を、長男はずっと静かに見つめていました。「よく飽きずに観ていたネ・・・」そう声をかけたくなるくらいでした。長女は、楽しそうに手を叩いて讃美に和していました。 
 私たちの教会で、初めて野外音楽堂で伝道コンサートを開いたのは、今から30年ほど前、私が小学校3年か4年のときだったと思います。 第一回目の総合司会は森田 心兄、当時まだ10代の山本盡子先生、山田行姉でした。今と同じ榴岡の野外ステージで、行姉が「はりきっていきましょう!」と言ってジャンプしていたことを覚えています。オープニングではじめて耳にした「春がやってきた」という讃美。私も、自分の息子と同じような眼差しで、驚きと憧れの視線を送ったのかもしれません。回を重ねるごとに、教会のメンバーが輪番で総合司会を担当し、(お父さんが司会をするのはいつになるのかなあ!)と楽しみにしていたことを、思い出しました。私はやがて、教会の同年代でバンドを組み、練習を重ねて音楽伝道に携わるようになりました。久しぶりの野外コンサート、そして、自身初の野外ステージ・・・と計画をしていた矢先、同年代の友が教会を離れていく事態が起こりました。リードボーカル、ベース、キーボード、ピアノ・・・いっしょに練習をし、教会生活をともにした友が離れていく悲しみは簡単に言い表せないものでした。
 その時を経て、私が初めて野外伝道コンサートに出演できたのは、1992年の夏のことでした。現在、山形県白鷹町で牧会をされている山本出牧師が神学生であった当時、夏期伝道のために母教会である私たちの教会に派遣され、「進君、和幸君、義君がいるじゃないか!」そう言って、ベースを弾きながらボーカルを担当して下さり、ともに野外ステージに立ってくださいました。 ピアノを担当してくださったのは山本盡子伝道師、しばらくして山本嘉納牧師がベースとしてバンドに加わって下さいました。嘉納先生、盡子先生はお子さんを背負いながら練習に参加して下さいました。
 今、私たち夫婦は二人の子育てに関わっております。時に、子育ての中で辛いなぁという気持ちが起こる時、両先生が決して手抜きをせずに、子どもと一緒に私たちの若いバンドに関わってくださったことを思い出し、「私たちも同じように謙遜に歩ませていただこう、子どもたちも一緒に教会の中で歩めるように」と、自らを奮い立たせています。
 現在、先生におんぶされていたお子さんが、教会を支える兄弟姉妹に成長し、彼らが中心となって野外コンサートにて讃美が奏でられています。先輩方のコンサートに憧れ、年を経てステージに立つ時期を通った自分が、今はステージの後ろで子どもを抱いていっしょに讃美を聴いています。(それでいいのだ、それが、私に与えられた最善、最高の神からのプレゼントなんだ!)と実感しました。 そして、総合司会に玉城義兄のお嫁さんである春恵姉が立ち、その奉仕を楽しそうに務め、賜物が用いられている様子を目の当たりにし、30年前と同じ音楽堂で、不思議な神の導き、配剤を感ぜずにはいられませんでした。そこに大きな感謝を覚えながら、息子と一緒に野外伝道コンサートを聴くことが出来ました。
 私たち夫婦の願いは、子どもたちがやがて音楽堂の前の席に陣取って、楽しく讃美に和することです。そして、この世の栄誉を誇るよりも、主に仕え、主を讃えることが真理であることを、讃美を通して悟ることです。子どもたちがイエス・キリストに出会い、ともに生きることができるように、祈り、取り組み続けていきたく思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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