同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 教会キャンプ —

茂永 和子

「ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。」(1コリント 1:24)

 この年もゴールデンウイークの時に教会キャンプがありました。10年くらい前から毎年行われているので今では恒例となっています。その時期になると家庭でも、何年の時はあの場所でこういうことがあって楽しかったとか寝不足になった思い出などたくさんの話題が出てきます。回が重ねられていることの恵みを覚えさせられることであります。一泊二日の日程で2回の分科会が持たれ、あっという間に時間は過ぎていきますが、共に食事をし、交わりが与えられ、集会での分かち合いを通してお互いを尚知らせていただく時、改めて神の家族として同じ教会に導かれていることを思い感謝いたします。分科会の一つを山田大兄と共に担当させていただきました。「教会」というテーマで集会が進められていきました。私たちの教会で掲げられている「教会建設」「信仰の継承」がなされていくために、そこにどのようなメッセージが語られ牧会がなされて来たかということを兄弟が語ってくださいました。そこには神と自分と隣人の関係があり、その生きた信仰の中に結実があること。隣人と関わっていく中で信仰をどう生かしていくかが大切であると語られました。兄弟は若い時、修道院のような所に入って自分と神様だけの関係の中にずっと留まりたいと思ったことを話しておられ、私も振り返ってみると独身の時は、自分と神様との二者の関係の中で満足していたところや自分勝手に自分の思いを御心としていたことを思いかえしました。
 今は結婚を通し家族が与えられ、教会の先生方、兄姉が与えられていることを本当に感謝しています。私が嫁いだ茂永の家も主人の祖父母が未信者でその祖父が病に倒れた時に山田兄は山本光明先生から祖父の入院する病院へ訪問するように言われて毎週通ったこと、そこには孫にあたる主人や義弟が一緒に行ったことを話してくださいました。課題がある時には持ち帰り山本光明先生に尋ね相談してきたこと、そして死の間際に救いに導かれたことを通して神と自分と隣人との関わりを学ばせていただいたということを聞かせていただくことができました。そのことを通し祖母も後に救われ家の流れが大きく変えられてきたことを思う時に、その尊き働きがあって今があることを覚えて感謝いたします。また、「あなたは教会の重荷となって行きますか、それとも教会の荷を担える者となって行きますか」と牧師先生から投げかけられたことを語ってくださいました。教会キャンプを通して普段あまり聞くことのできないことも、聞く機会が与えられていることを幸いに思います。今与えられている現場において自らの役割を果たさせていただきたく願います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)

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