同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 光について考える —

 <後悔先に立たず>というタイトルにしようかと迷ったが、まあ、光でいこう。
「神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。」(創世記 1:3)
「「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。」(コリントⅡ 4:6)
創世記の「光があれ。」といわれたことを、キリストの御顔にある神の栄光を見ることのできる光と関連づけることは、パウロの解説なしには考えられない。
 聖書の中に光ということばがたくさん出てくるが、それが何であるか、説明が難しい。
ヨハネの福音書の出だしに、イエスについてこう書かれている。
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」(ヨハネ 1:1-4)
イエスのいのちも光も経験として知っているが、やっぱり説明が難しい。
説明の仕方をじっくり考えることにしよう。

「イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」」(ヨハネ 8:12)
イエスはこのことばを、姦淫の現場でつかまえられた女の物語のすぐ後で言われた。イエスを罠に掛けようとした人々は、イエスの光に自分の姿=心を照らされて、その醜さに気づいて逃亡した。
女も同様にイエスの光に照らされたが逃亡せず、イエスのいのちに与った。
 イエスは弟子たちにこう言われた。
「イエスは彼らに言われた。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」」(ヨハネ 12:35-36)

イエス・キリストによって救われていない人は、間違いなく「闇の中を歩んでいる。」
パウロの使命は、
「・・・わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』」(使徒 26:16-18)
であった。このみことばから、神に立ち返るまえは<やみ>にいることが明らかである。
「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。」(エペソ  5:8)
救われた私たちは、光に歩むものとなりました。
ところが、
「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。」 (ヨハネⅠ 1:6)
と判断基準が示されている。

さて、最初の<後悔先に立たず>であるが、やみの中を歩んでいるひとであっても、<やっちまった>結果が出ると、その内容が明らかになる。皆さんよくご存じの話、
「そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。」(マタイ 26:14-15)
ユダはこの段階では、<金になる・・>しか心になかったかも知れない。しかし、
「そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして」と言った。しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ」と言った。それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首をつった。」(マタイ 27:3-5)
ということになった。これぞ正しく<後悔先に立たず>。
 これは人ごとではありませんよ。皆さんも<やっちまって>後悔するのではありませんか。

私たちには以下の素晴らしい道が備えられている。
「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」 (ヨハネⅠ 1:7)
「歩む」のですから、それは、<意志を働かせた動作>をするのですよ。
 大事な点は、救われた私たちには、<やっちまう>前に光があって、行うことが神のみこころに適うものか否か・・おぼろげであっても・・分かるのである。
 光の中を歩むと後悔しない人生を生き得る。そして、そこに歩み続けるとますます光が明るくなって、自分が歩んでいるところがよくわかるようになる。
ですから、
「光の中を歩みなさい。」