同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— いちゃもん —

 「いちゃもん」とはヤクザことばだと思っていたら、関西では普通のことばなのだとか。関東で「難癖をつける」といっているのを関西では「いちゃもんをつける」というらしい。
とにかく、相手に非がなくても、理に適わない理屈をつけて文句を言うということか。
相手に非があるなら「文句をつける」「苦情を言う」も成り立つことだろう。

 それはさておき、 こんな話はどうであろうか。


♪兎追いし かの山
 小ぶな釣りし かの川
 夢はいまも  巡りて
 忘れがたき  ふるさと


(私が子どもの頃習った歌は、「あの山・・かの川」だった。)

1914年に尋常小学校唱歌として採用されたのが、はじめだそうだが、この歌には問題がある。
<フナは川にはいない>のである。
フナは、水の流れがほとんどない、沼、池、湖の類に住む魚であるからだ。
100年経っても、文句をつける人も、いちゃもんをつける人も、誤りを正す人もいなかったのか。
「小ぶな釣りし かの沼・・」とでもしたいものだ。しかし、川を沼とすると、歌のイメージが一遍に下がる。
どうでもいいことだから、みな黙っているのか。


 故山本岩次郎牧師が若い頃のことについてこんなことを話していた。
自分は淀橋教会で副牧師をしていたが、そのときの主牧は小原十三司牧師で、岩次郎牧師が説教する時、講壇の後ろの席で小原牧師が聞いている。間違ったことを言うと後ろで「違う!」というのであったとか。
ところが説教の流れで、さっき「違う!」と言われたことを、また言ってしまった・・と気づいた瞬間気が遠くなって(失神して)しまった。と。
・・私たちが接した時代の、パワーに溢れた岩次郎牧師からは想像もできないことであった。岩次郎牧師もやっぱり普通のひとであった。


 キリスト教に関する書物を読んでいると、「ん。これは聖書に書いてない。」とか、「これは、・・・かも知れない」とつけて話さないとうまくないということにでくわす。
川に住むフナとおもえばいいのか?


とまあ、今回は全部どうでもいいことでした。