同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 新しい技術の波 —

 私はかつて時計の製造会社につとめていたが、そのとき時計の世界に、従来の機械時計から電子時計に代わっていく激変の時を迎えた。水晶振動子、電池、電子回路、液晶表示素子、モータ、等々の部品が腕時計に組み込めるサイズに開発された。今、テレビは液晶テレビが全盛であるが、はじめて液晶でテレビをつくったのはエプソンで、時計の技術の延長であった。時計の電子化で、電機メーカーが一斉に時計に参入しようと試みたが、成功したのは日本ではカシオだけであった。時が経ってまた変わってきているかもしれないが。
 今回取り上げようと思うのは、自動車である。
 今自動車には、2つの点でかつての時計の電子化のような激変を迎えようとしている。
 その1は、炭酸ガス排出をゼロにせよという要求である。
 その2は、自動運転である。
 その1の要求は、地球温暖化ガスを抑制せよという世論に押されたかたちで主として欧米の当局が率先して進めているものである。ハイブリッド車はだめで、いまのところ電気(電池で走る)自動車か、水素を燃料とする燃料電池車しかない。実際には充電するための電気や、燃料電池の水素をどうやって作り出すのかも考慮しなければならないのだが、今のところそれは置き去りにされている。しかしいずれそれも問題となるであろう。
 その2は、以前ぶつからない車・・自動ブレーキ・・がテレビで宣伝され、「あれ、いいな!欲しい!」と思わされたが、そこでとどまらなかった。カーナビで行く先を告げると道案内をしてくれるようになったが、道案内だけでなく運転も全部機械がやってくれるものの開発が進められているのである。
 この二つの技術に後れをとると、いずれ消えていかなければならなくなることを察知して、自動車メーカーは血眼である。
自動運転を支えるのは、センサーの技術と、それを総合判断し、その判断のもとに車を動かす技術である。
 かつて時計に電機メーカーが参入しようとしたように、自動運転の技術にグーグルなど他の業種の企業が参入しようとしていることが知られている。

 通信技術が発達し、インターネットが普及するなどでも世の中大いに変わった。自動車でもまた変わることであろう。
 世の中が変わると、私たち信仰者の生きている世界も変わるので、世の中の変化にも注目していきたい。