同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 昔は子どもだった —

  私めももちろん昔は子どもだった。だが自らを観察するに、どうも今も子どもである。子どもだけでなく、青年の要素もあり、そこそこ年配の要素もある。不可思議。
アメリカやヨーロッパでは、パーティーを開いて、大人も子供ももちろん年寄りたちも、はしゃぎまくっている映像を目にするがきっと映画の世界だけでなく、実生活でもそうやっているにちがいない。比較して自分もまだまだ同じようにはしゃげると感じる。

 子供時代を振り返るに、世に言う「腕白坊主」であった。坊ちゃんもトムソーヤーも顔負けといったところか。

 小学校の4年生から5年生にかけて、学校の校舎を建て直した。近くにいらなくなった巨大な畜舎があって、それを取り壊し、学校の建築用の材木として使用していた。 その工事の進行中、古い畜舎の中、屋根近くに蜂が巣を作った。
工事現場だからはしごがあった。それで、そのはしごをかけて登り、蜂の巣をつついた。
蜂ども怒るまいことか。一斉にやったきた。「蜂の巣をつついたよう」と世の中では表現するが、ネットなぞかぶらず文字通り蜂の巣をつついたのだから大変。おまけに、はしごで高いところに登っていたので、逃げられない。散々刺されてしまった。
不幸中の幸いは、どうやらみつばちだったらしい。いまどきさわぎの、クマバチだの、スズメバチだったら、えらいことになっていたかも。
蜂にぼこぼこされて、うちに帰ったら、母親は、「んまァ。あきれた。」でおしまい。なあに、ほっといてもそのうち直る、というわけ。
典型的なアホでした。

田舎では、木の小枝を切り落としたり、燃やすために適当な長さに切る作業には鉈を使うことが多い。もちろん子供も鉈を使う。
あるとき、木の小枝を短く切る作業を手伝っていた。丸太の上に小枝を載せ、鉈で切る。丸太の台があると切りやすいのである。
ちょんちょんちょんと小枝をきっていくうち、左手の人差し指の先をちょんと切ってしまった。爪を斜めに半分にするくらいだが、完全には切れず指先が割れた状態になった。もしあとちょっと手元が狂っていたら、指先と永の別れになるところだった。さすがにこのときは、赤チンをつけ、しっかり包帯を巻いてもらった。ドジ。
生涯爪が割れた状態で生えてくる。一生のつきあいになった。やがてタイプを打つ時が来た。次にパソコンのキーボードに変わったが、人差し指が小指くらいでは、打ちづらいことこの上なしというところであった。

 私の家の母屋の屋根はトタンぶきであった。当時はさびてくると、ペンキでなくコールタールを塗っていた。私がそのコールタール塗りをしたが、近くの畑に母親がいたので、母屋のてっぺんで、逆立ちをしてみせた。だが母親は知らん顔、何処吹く風っといった感じであった。後になって母はこういった。「騒ぐと面白がってもっとやるから、知らん顔をした」と。
もし父親だったらげんこつを喰らったにちがいない。
(母親をあなどっていました。いまになって申し訳ないことをしたと思っている。)
これはアホにドがつく「ドアホ」であった。

 屋根から本当に落下したことがある。台所の屋根の縁は地面から2mくらい。そのときも屋根に登ったのはいたずらでなく、父親の手伝いであった。
屋根は波トタンであるが、採光のため一部分はエンビ製であった。そのエンビの波トタンを屋根に載せ、釘で留めるのである。うっかり、そのこれから使う分の波トタンに載ってしまった。それはよく滑る。トタンもろとも地面に落下してしまった。
不注意のヘマ。
足が下で落ちたので、2mくらい飛び降りた感じで何事もなく済んだが。

3つ子の魂100までも、そういうアホ、ドジ、ヘマを大人になっても引きずっているのかも。一生童心とか一生青春とか言って、世の中ではもてはやすが、本当によいことであろうか。

イエスは幼子のようであれ、と弟子たちにいったが、それは誰が一番偉いのかと争う弟子たちに、幼子のように謙遜でありなさいといったのである。

パウロはこう言っている。
「私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。」
(コリントⅠ 13:11)
パウロの勧めはこうである。 「兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。」
(コリントⅠ 14:20)

イエスの教えとパウロの教えを心に納めておこう。