同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 息子とのこれまで、そしてこれから・・・ ~


石井 和幸



『また、彼らの間には、この中でだれが一番偉いだろうかという論議も起こった。 すると、イエスは彼らに言われた。「異邦人の王たちは人々を支配し、また人々の上に権威を持つ者は守護者と呼ばれています。 だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。 食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています』
(ルカ 24:22-27)

『そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、 機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。 ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。』
(エペソ5:15-17)


 10月8日で結婚10周年を迎えました。主なる神の深いあわれみと、教会の先生方、兄弟姉妹の多くの祈りに支えられ、小さな家庭がここまで祝福されていることをとても感謝しております。神が良き伴侶を備えて下さり、愛されてここまで守られたことを大変感謝しております。10年間、たくさんの感謝や導き、神の恵みがありましたが、今回は長男との出来事を書かせていただきます。

 結婚が与えられた後、家内と私の意見が分かれ、対立するようになったのは、子どもが与えられてからでした。それぞれの育ちの違い、環境・教会生活の違い、それぞれの信仰課題に対する取り組みの違いが、そのまま子育てに対する考え方・方法の違いとして表面化し、何度も牧師先生ご夫妻にご指導いただき、いまもその営みのなかにあります。

特に、長男に対する私の取り組みは、大きな課題でありました。牧師より、『あなたは本気で息子を愛していないでしょう?本気で愛してごらんなさい』と示され、心をまっさらにして人格を愛することを教えられました。

長男が4歳になって間もないころ、彼は川崎病を患い、2週間ほど入院することになりました。入院初日、病院にて家内と付き添いを交代して間もなく、点滴をされて寝ていた息子が目をさまし、彼は母親がいないことを泣きました。10分位でしょうか、長い時間彼は、(自分が苦しんでいるときになぜお母さんいないんだ!)といわんばかりに泣き続けました。私は、ただ彼の前でなんの慰めにもならないことを覚え、本当に今までの取り組みの足りなさを悔いました。
そうしているうちに、彼は私に『あれが飲みたい』といって、机の上にある『飲むヨーグルト』を指さしました。私がヨーグルトを手にもつと、長男『お父さん全部飲まないでね』私『お父さんはさすがに飲まないよ』長男『だって、いつもいっぱい飲んでるじゃん』・・・そんな会話を交わして、互いに笑みがこぼれました。入院している長男の付き添いをすることは、私にとって大切な時間となり、彼も入院したことを通して多くの祈り、愛に触れ、成長があたえられたことが、今も大切な思い出となっています。

長男は現在6歳になりました。9月、教会野球部イーグルスの合宿(慰労会)2日目、私と長男は、山本牧師の了承をいただいて家内の母教会である兄弟団山形教会の召天者記念礼拝に向かいました。朝6時前に長男を起こすと、彼はきちんと目をさまして、着替えて玄関まで歩き、おじいさんの見送りを受けて宿舎を車で出発しました。私が『山形につくまで寝てていいからね』と言っても、彼は隣の席でずっと目をさまし、私に話しかけました。『お父さん昨日ここで古いバスとすれ違ったとき、『わあ!』って言ったよね!』『このへんで古い線路を見てまたワクワクしてたよね』長男が昨日の道のりと私の態度をよく覚えていたことに、私はドキッとさせられました。出発して1時間ほど経ち、高速道路に入ると、彼は半分食べたおにぎりを握りつつ、コクっと眠りはじめました。パーキングエリアに停まってシートを少し倒すと、山形にあるおばあさんの家に着くまでずっと眠りました。私はシートを倒すまで彼が、なんとか起きていようとしていたこと、彼に成長が与えられていることに感謝を覚えました。

 私と長男との関わりはまだまたこれから・・・10年たった結婚生活、9年たった子育ても、本当に神の憐れみによってやっとスタートラインから歩みだしたばかり、というのが率直な感想です。もっとも、60歳、70歳までのんびりやればいい・・・というものではなく、何も考えずにいるとあっという間に10年過ぎてしまう、という恐れもあります。私は結婚当初、神に喜んで仕える家庭、神から託された子どもたちがいやいやながらではなく、自然と喜んで神の腕に入る家庭を夢としました。そのための環境を整えさせていただきたい、教会を愛し、愛される子どもに育ってほしい、という思いを持ちました。

10年経った今、もう一度その希望を主にあって覚えさせていただきました。夫婦でともに取り組み、神の前にへりくだる必要を覚えます。いつのまにか主の前に差し出した夢と希望を取り下げてしまうものではなく、主にあって飛躍を目指すものでありたく願っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)