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キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 父の信仰 ~


石井 和幸



「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」
(ペテロⅠ 5:6)

 11月4日、仙台市役所前の市民広場を会場に、仙台ゴスペルフェスティバルに私たちの教会から『ガリラヤの風withエクソダス』『絆』の2グループが参加しました。『ガリラヤの風』は、84歳になる山本光明牧師と、72歳になる私の父が中心となったコーラスグループであります。心からの力強い讃美、信仰に満ち溢れた姿は、聴く人の心を打つものでした。
 最近、家族の会話の中で、父はゴスペルフェスティバルでの讃美を『人生において予想外の出来事』と表現しました。父にとっては、音楽を奏でること、歌うことは嫌いではありませんが、苦手とする事柄でありました。他に得意なことはいくつかありながらも、あえて神が『讃美』を通して、しかも70歳を超えた時点で福音を伝える機会を与えて下さったこと、先生方、多くの兄弟姉妹に支えられてこの日を迎え、自分は『ジーパン、革ジャン』といったコーディネ-トをしていただいて讃美したことが『予想外』であったそうです。しかし、『予想外』とは表現しつつも、ここ数年父は『ガリラヤの風』の奉仕を通して、山本光明牧師とともに讃美をし、福音に携わることを何よりの喜びとしておりました。
10月に行われた教会サテライトルームでのコンサートにおいても、父は涙とともに光明牧師と並んで讃美していました。
 私が小学生の頃・・・ちょうど今の私の子どもたちくらいの頃に、父は教会の伝道会にて、ギターを持って『サニーマウンテンボーイズ』というバンドを組んで讃美しておりました。私にとって父がバンドで讃美するときは、心がわくわくする時でありました。東京で持たれた聖会で『サニーマウンテンボーイズ』が讃美したときは、1,2週間くらいその話題で家族が盛り上がっていた記憶があります。その後、父のバンドとしての働きは一旦引退しましたが、教会において役員として、特に野球部の監督として長く仕えました。私自身、父の監督する教会の野球チームでともに野球をすることは喜びでしたし、父が教会にて生き生きとしている姿は私の憧れでありました。私の中学受験の時にも父は深く関わってくれましたし、新生、救いの恵みの導きを受けたのも父を通してでありました。
 父が50代半ばの頃、父を中心にまた伝道のためにバンドが結成されることとなりました。父は、実は(もうバンドにて讃美のご奉仕をすることはないだろう)と思っていたそうです。しかし、メンバーを募ったところ、山本光明牧師が真っ先に加わってくださり、そこからまた、讃美の働きが進められていきました。今回のゴスペルフェスティバルでのコンサートに、この再結成されたバンドで参加し、讃美を献げることができたことを、父は本当に喜んでおりました。
 ゴスペルフェスティバルにおける祝福は、父の謙遜な姿勢、信仰に対する神の答えであったと思います。
 父は、どちらかというと自分から進んで何かを申し出るような人ではありませんが、『仕える、関わりをもつ』と決めたなら、こだわり続けて徹底して事を行い続ける人であります。私は、この部分で欠けを覚える者であります。そう思いながらも、自分自身を省みた時に、正直父と違う方法をとることに意識をおいていて、父に対して何もしていない、ともすると関わりが薄くなってしまっていた自分がいました。
 これから、私も謙って教えていただきながら、父の信仰とその方法を継承する者として、歩んでいきたく思っております。
(仙台聖泉キリスト教会会員)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)