同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 仙台駅のホーム調査 ~


石井 和幸



『「すると、イエスは彼らに言われた。『異邦人の王たちは人々を支配し、また人々の上に権威を持つ者は守護者と呼ばれています。だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。 食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。けれども、あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。 わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。 それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。』」
  (詩篇 86:11)



 7月、子どもたちの夏休みが始まると小学三年生の長女は、学校から課題として出された「自由研究」のテーマを「信号機の色が変わる時間差」にするつもりと、私に伝えました。
(ああ、それじゃあ色々なところの信号機を調べに行くのだな・・・)と思いつつ過ごしていると、8月17日だったでしょうか、長女が私に「自由研究のテーマは『鉄道』にしたい。お父さんは鉄道に詳しいからいろいろ教えてほしいのだけど・・・」とお願いに来ました。
「なんで?信号機について調べるんじゃなかったの?信号機やればいいじゃん!」そう私が返事すると娘は「だって、信号機の変わる時間調べたらそれで終わりでしょう?私、もっと深い研究をしてみたい・・・今度の日曜の夕方、時間とってもらえませんか?」と答えました。
実は、自分自身も会社の夏休みが明けたばかりで、たくさん「宿題」をかかえて仕事を再開したばかり。日曜の夕方は娘がピアノの練習を集中して行う時間で、そこを他の用途に使いたくない。だからといって「私の宿題」提出期限の土曜日は無理・・・娘の夏休み明けは8月25日。
(なんでこのタイミングで?『鉄道』っていっても奥が深い。そんな1~2時間で済むような内容じゃない。かといって、自分の仕事もあるし・・・)
そう悩んでいる私に家内は、「このところピアノの練習に付き添ってくれているあなたと、自由研究も一緒に乗り越えたいと思っているみたいよ」と言いました。
(そうか、だから普段ピアノの練習をする時間・・日曜の夕方を提案したのか!)と気づきました。私は、娘のところにいき、まず「鉄道」のどの事柄について調べたいのか書き出してもらい、その上で娘と話し合いをしました。
8月某平日のお昼・・・普段は学校で給食を食べている時間に、JR仙台駅でどんな電車がいて、ホームにはどんなものがあるのか、そのことにテーマを絞って調べることにしました。12時20分。仙台駅について調査開始。
 1番線から14番線まで、売店の数、自動販売機の数、どんな施設があるか、どんな電車が停まっているか、娘は大阪に行ったときと同じカメラをもって、私は仕事で使っているカメラと現場調査用のノートをもって、かつて寝台特急がとまっていた長いホームから地下ホーム、そして4階にある新幹線ホームまで、娘と2人で歩きました。調査が終わったとき、時計は2時をすぎていました。
 娘は、「おなかが空いて疲れたけどとても楽しかったね!私このテーマにして本当に良かった!」と喜び、私が(こんなことをして飽きがこないのだろうか?)と事前に思っていたことは杞憂に終わりました。
 このことを振り返ってみたときに、私は(ああ、いよいよ子どもたちとの次の取り組みが始まるのだ、いや、もう始まっているのだ)という思いを抱きました。たまたま、今回の自由研究は私の得意分野であり、仕事や自分の時間を犠牲にしても苦にならないような出来事だったかもしれません。しかし、これから自分の苦手なことについて、本当はやりたくないと思う状況で「お父さん、いっしょに乗り切ってほしい、ともに過ごしてほしい」と妻や子どもから要望があったときに、素直に愛する隣人のそばにいるべきであることを覚えました。
この夏、教会のサマーキャンプにて、また様々なところで子どもたちとともに楽しみ、子どもたちに仕えて下さった教会の先生方、兄弟姉妹がいらっしゃいました。また、妻の実家・母教会においても、子どもたちを愛してくださるおばあさん、兄弟姉妹がいたことに大変感謝を覚えました。
「お父さん、一緒にサッカーをしよう!」
「お父さん、神様はおひとりだけでしょう?」
子どもたちから放たれる発信を、自らが受け止めなければならない必要を覚えるのと同時に、ともに受けとめて、主にあって豊かに報いてくださる方々との「距離感」をこの夏、子どもたちはより近くすることができたことを感謝しつつ、やがて子どもたちが真実の神に近づき、神の子とされて労苦を神とともにする喜びを得ることができるように、なお夫婦で祈りつつ歩みたく思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)