同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 隣人とともに、福音に生きる ~


石井 和幸



『だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。』(ルカ 22:26)

 1月のある日、会社の職長であるSさんと山形県酒田市に出張しました。
Sさんが前に勤めていた酒田の会社から、私たちの会社に仕事の依頼が来たためでした。 Sさんは50歳になりますが、20年来、週ごとに宮城と酒田を往復したり、また何年か酒田に住んで働かれたりもしたそうです。
何十回も往復した酒田までの道のりをずっとSさんは運転しながら、「ここでこんなことがあった」「ここまで1時間でしょ?実家に帰ろうとしていたときここで会社から『急な仕事が出たから戻ってきて!』と電話がかかってきたんだよ」「あそこのドライブインはおすすめだからお土産買っていきなよ」「ここのアパートを借りていたんですよ」と、Sさんは懐かしそうに語ってくださいました。
 Sさんが私たちの会社に入社して丸5年。Sさんは会社に勤める教会の人々、とくに牧師との出会いを喜んでいます。野外礼拝や、教会のイベントにも何度かいらしてくださり、とても幸いな交わりが与えられています。Sさんは、この出会いをかけがえのない宝と話していました。
 私は、酒田への道中、Sさんの横で話を聞きながらずっしりと重いものを感じていました。
「先生は会社の中で、個々の職人さんとの関わりを大切にしておられる。Sさんはそれをしっかりと捉えている。では、自分はどうだろうか?」と心に問いかけました。
Sさんは月一回、週一回だけ会っている人ではなく、毎日顔を合わせ、日々の戦いをともにしている人です。
自分は本当に、そんなSさんの歩み、人格にちゃんと向き合っているのだろうか?と思わされました。
 この1月は、自らの会社の管理者としてのあり方を考えさせられた出来事が多くありました。
イエス・キリストの福音を証するということは、単に教会を紹介すればいいのではなく、本当に人格と真摯に向き合い、信仰の課題に向き合い、自分自身が福音を本当に実践しているかどうかが問われるのだと、改めて示されました。愛すべき人格を本当に愛しているか?神からの問いかけをずっと握りしめ、なお祈り、遜りつづける者でありたく思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)