同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 父の信仰 ~


石井 和幸



『ときに、ユダ族がギルガルでヨシュアのところに近づいて来た。そして、ケナズ人エフネの子カレブが、ヨシュアに言った。「主がカデシュ・バルネアで、私とあなたについて、神の人モーセに話されたことを、あなたはご存じのはずです。 主のしもべモーセがこの地を偵察するために、私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。そのとき、私は自分の心の中にあるとおりを彼に報告しました。 私といっしょに上って行った私の身内の者たちは、民の心をくじいたのですが、私は私の神、主に従い通しました。 そこでその日、モーセは誓って、『あなたの足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが、私の神、主に従い通したからである』と言いました。 今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。 しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。 どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」 それでヨシュアは、エフネの子カレブを祝福し、彼にヘブロンを相続地として与えた。それで、ヘブロンは、ケナズ人エフネの子カレブの相続地となった。今日もそうである。それは、彼がイスラエルの神、主に従い通したからである』
(ヨシュア記 14:6-14)

 読者の皆様、今年も宜しくお願い致します。
 昨年のクリスマス祝会にて、教会学校青年科の皆さんが、カレブの信仰を描いた劇を演じて下さいました。20歳の森田穏兄が脚本を書き、青年科のメンバーが信仰によってこの劇を作り上げたことに、私は感動を覚えました。劇中、以下のようなシーンがありました。台本をそのまま掲載します。
 (カレブの)孫娘 「おじいちゃん、なぜこの土地を取ったの?」
カレブ「ヘブロンかい?」
孫娘「辺りは砂漠だし、もっと良い土地もあるし、何よりおじいちゃんが一番頑張ったじゃない」
カレブ「あーっはっはっは、そうだな この地は私たちの先祖、アブラハムが生きた土地であり、サラとともに葬られた所でもあるだろ」
孫娘「マクペラの洞窟はあるけれども、まだよくわからない。」
カレブ「私たちイスラエルの民が、特別に神によって愛されている、それは、アブラハムが神とともに歩んだからなのさ。私はアブラハムのように主から素晴らしい栄冠をいただける者になって、アブラハムと同じこの地で生涯を終えたいと願ったのさ。」
 昨年、私たちの教会では「主の栄冠に与る」と題して講壇からメッセージが語られました。
このカレブと孫娘のシーンは創作でありますが、私たちの教会にてメッセージされた「信仰の継承」という課題を青年科の方々がよく捉えて、私たちに共感をもたらすものとなり、とても感謝を覚えました。
 この劇に登場した孫娘のように「もっと良い土地もあったでしょう?」と、以前の私は周りを見て思い、そこに捉われることもしばしばありました。しかし、そうではなく、信仰の先輩方を見失わずにそこに歩み続ける大切さを改めて教えていただいたと思います。
 昨年、長女は学校に提出しなければならない日記に教会のことを書きました。
娘にとって、教会は日常でありました。「神様なんかいないよ!」と一部のクラスメートに言われたとき、彼女は「友だちが教会にきて、神様を知ることができますように」と祈りました。
彼女は「もっと良い土地もあるのに・・・」というつぶやきの祈りではなく、自分の悲しみをありのままに告白し、教会で愛されていることを覚えながら、そこに友だちも触れてほしいというありのままの願いを注ぎだした祈りをしました。
神は、「ありのままの小さな祈り」を受け入れてくださり、その後、まち探検の授業でクラスメートが教会に来る機会が与えられたこと、また教会に行ってみたいという思いをそこに来た子どもたちが語っていたことを聞きました。
 年末に一年の歩みを振り返りながら、私自身、これからもなお中心に据えなければならない、変えてはいけない信仰の姿を、あらためて青年科の劇を通して教えていただきました。そして、改めて聖書に書かれたカレブの記事を読んだときに、カレブがカナンの地を偵察に訪れたのは40歳であることに心がとまりました。
カレブがアブラハムと神との関係を尊び、そこでなされた約束の成就から目を離さず、自らも神との約束のなかに生きたように、40代を生きる私も、自分の生きやすいところにとどまってしまう者ではなく、神との約束に生き、信仰の継承に取り組む者でありたく願っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)