同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 三浦綾子読書会 —

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石井 行雄

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」 (テモテⅡ 4

 過ぐる年も恵みの中を歩ませていただき、新しい年、御言葉を与えられ、始められたことを感謝致します。
 「三浦綾子読書会」、今年も続けて行きたいと思います。私が50年前、高校生の時読んで感動した「氷点」を学んでいますが、特色は、出席者間の対話を通して新しい発見がなされること、小説に書かれている人間関係を知ることによって、人はどう生きるかを考えることです。
 共に学びの中にあります齋藤姉は、自然豊かな西会津地方の出身で、キリスト教とは何の関係もない所で育ちました。高校生の時「塩狩峠」を読んで心引かれ、「これは何のことを言っているのだろう、仙台で就職したら教会にいってみよう。」と思ったそうです。その就職先が私の両親と家族が経営する会社で、隣に教会がありました。
 驚いたことでしょう。ここに世に言う「偶然」ではなく、「神の導き」がありました。
 始めの頃、私も教会に誘ったのですが、「皆(みんな)に迷惑がかかる」ということでためらいがあったようです。ある土曜日の夕方、私は勇気を出して「明日教会に来ませんか」と声を掛けると、次の日、伝道会に来てくださり、教会中で喜びを共にしたことでした。私にはその時婦人伝道師が笑顔で話しかけていた光景を、今も忘れることができません。齋藤姉はその日、教会音楽に良い印象を持ったようで、続けて来るようになり、救われ、洗礼を受け、同じ教会の兄弟と結婚し、今日に至っています。最初は数年で西会津に帰る予定だったそうですが、ここにも神の計り知れない導きがありました。
 読書会の目的は、齋藤姉のような方が与えられることです。
 幸いなことに、ここ数年の間、二人の女性が続けて参加されています。最初の方は結婚され山形に行かれましたが、二年前「赤ちゃんが生まれました。」とのメールが入ったり、交わりが続いています。
今は近所の方が二年前から来て下さり、四人での学びを共にしています。
 最後に自分のことを振り返ってみますと、4年前、家と仕事場を新しくし、第二の人生をスタートしましたが、一度、会社の友人をクリスマスコンサートに誘った以外、ほとんど伝道した記憶がありませんでした。
けれども昨今、教会の兄姉がコンサートで熱心に伝道する姿を見て、「このままではいけない。伝道しよう。」と思うようになり、月一回の卓球仲間数人に、前日用意した「道ありき」の一部分が書かれているチラシを、勇気を出して「良かったら来てくれませんか。」と声を掛けて渡したり、近所の方をコンサートに誘ったりしています。
 ほんの小さな働きですが、ヨハネの福音書6章9節に書かれている、一人の少年が持っていた五つのパンと二匹の魚が、神の御手によって五千人の人の空腹を満たすものとなったように、神が用いて下さることを願っています。