同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 渋柿は渋柿として使え! —


 つい数日前、テレビをつけたら、「渋柿は渋柿として使え!」ということばが飛び込んできた。
 戦国の三人の武将、上杉謙信、武田信玄、毛利元就が、いかに人を育て、用いたかを取り上げた番組で、先のことばは信玄が言ったのだとか。
 武田信玄の軍は勇猛さで知られるが、その中にも臆病者の武将がいたという。
周囲のものたちが、「あいつはダメだ。戦の最中に敵前逃亡などされたら、見方は総崩れになりかねない。だからあいつをお払い箱にしてもらいたい」といったら信玄が「渋柿は渋柿として使え!」といったのだとか。
 信玄の思惑は、人を減らせば全体の力が落ちる。どんな人物も適所に使えば役に立つのだということであったらしい。テレビの番組で信玄がその人物をどういう使い方をしたか語られていた。
その他にも、武将一人一人の特徴を見抜いて組み合わせ、相互のちからが補完されて働くよう工夫したことなどが続いた。


 「人材活用」なることばは、昔から言われてきたし、このところますます声高に叫ばれている。国、地方自治体はじめ、民間企業も、学校もご多分に漏れない。
人材を活用できた事例もたまには聞くが、大方は掛け声だけで終わる。

 先の番組によれば、信玄は配下の武将たち、毛利元就は三人の息子たちが働きをなしたのは、信玄、元就の技量にかかっていた。
 各所で人材活用と叫んでも一向に芽が出ないのは、活用できる人物がいないことの証明である。渋柿人間はいたるところにいるのだから。

 教会も戦力不足であることは否めないであろう。
 教会のなかでもやっぱり渋柿教会員が多いのではないか?
イエス・キリストに思いがいく。主はなんと上手に弟子を訓練し、働きをさせなさったことであろうか。
 今は直接イエスに指揮していただくことができないのだから、先生はじめ教会員が力を合わせてその働きをする必要がある。
 ウチの教会では、若者だけでなく年の上がってきた者も、それぞれの年齢のひとに伝道する努力をしよう、という雰囲気がうまれていて喜ばしい。大先生がその先陣をきっているから頼もしい。