同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 母は仕える人 ~


石井 和幸



「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」(ルカ 22:26)

 2月の休日、私は両親と子どもたちを温泉へ連れて行くことになりました。当日は朝早くから雪が降り、家の前の道路も雪が積もっていました。
私は、両親がきっと「今日は寒いし、また今度にしよう」と言うだろうなと予想しました。ところが、母は「今日は結局行くの?行かないの?」とやる気満々で聞いてきました。
そこで、私たちは予定通り、以前から両親を連れていきたかった山のカフェに向かいました。カフェはキャンプ場の一角にあり、食事をした後、子どもたちはキャンプ場で飼っている犬を見に行きたいと言い出しました。
犬小屋までの道は雪が積もっていましたが、母は子どもたちのために率先して足で雪を掻き分け、犬小屋までたどり着きました。
母は岩手の雪国出身。雪を踏みしめて素早く道を作る様子はさすがで、雪が降った野山を子どもたちといっしょに歩き回る姿は、年齢を感じさせない光景でした。
その後の温泉、帰りの車中でも、子どもたちと楽しく会話をしたり、車窓をみながら話す姿は、私が幼かったころの母と変わりませんでした。
 思い起こしてみると、鉄道やバスが好きだった私は、母と2人の妹といろんな駅やバスターミナルに行きました。今思えば遊具もなにもない、ただの駅に母は「どうせいくならもっと・・・」といったことを一言もいわずに付き合ってくれました。母は、訪れた場所の情報や写真を記録し、今でもアルバムに保存してあります。
 私が結婚し、3年経って両親との3世代の生活が始まったとき、母の姿勢や行動を見て、私は(この人は2代目おばあちゃんなんだ)と思いました。私自身も子どもの頃、3世代の生活を経験しました。クリスチャンホームにあって、母は祖母に仕え続け、天に送りました。
その経験を生かした、初代とは違った対応と個性を、主が活かしてくださっていることを感謝しました。長かった持病との闘いの中、さまざまな家庭内での課題を黙って担い続け、今も家庭のために仕え続けている姿を、私はちゃんと受け止めつづけ、感謝し続けなければならないと思っております。そして、そのように母をここまで導いてくださったのは主なる神であることを覚えます。
 私たちの教会の創立30周年記念誌に、母の救いの証が詳しく記録されており、そこには人格をもたれた神がいかに母に配剤してくださったかを見出すことができます。
母は今も決して人とのかかわりが得意な方ではありませんし、言葉が上手な方ではありません。しかし、母は言ったことをきちんと行動に移そうと努力している中にあることに、今回改めて気づかされました。
 私も、言葉だけで終わる者ではなく、自らの子どもたちに信仰を標榜される者となれるように、努力していきたいと願っております。


(仙台聖泉キリスト教会 会員)