同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 罪について(9)—

野澤 睦雄


「彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。そこには、ユダヤ人の会堂があった。
パウロはいつもしているように、会堂に入って行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。
そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、
「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです」
と言った。
彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。
またほかに、神を敬うギリシヤ人が大ぜいおり、貴婦人たちも少なくなかった。

ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。

しかし、見つからないので、ヤソンと兄弟たちの幾人かを、町の役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言った。「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにも入り込んでいます。

・・・(ベレヤのできごと)・・・

ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした。」
(使徒 17:1-13)


<2.各論>
(1)ねたみ(8)

<テサロニケにいたユダヤ人たちの例>
前回ご紹介したベレヤのユダヤ人たちの記事をはさんで、テサロニケにいたユダヤ人たちのことが書かれています。
前回ご紹介したベレヤのユダヤ人たちの記事をはさんで、テサロニケにいたユダヤ人たちのことが書かれています。
 悲しいことにパウロたちの邪魔をするのは、異邦人ではなくユダヤ人です。それもどこでも「ねたみ」によってと書かれています。
 彼らは会堂を建て、律法の書を朗読してきかせ、神の道を説いていたはずでした。
きっと割礼や断食、イエスが指摘した先祖の言い伝えを守ることに奔走し、律法のなかで一番たいせつなことには、まったく関心がなかったものと思われます。

「律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」
イエスは答えられた。
「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
次にはこれです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』
この二つより大事な命令は、ほかにありません。」
そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない』と言われたのは、まさにそのとおりです。
また『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」
イエスは、彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。「あなたは神の国から遠くない。」
(マルコ 12:28-34)

私たちはこのユダヤ人たちの轍を踏まないようにしましょう。
 聖書を持ち、救いの道を説き、人々をキリストに・・と叫んでいる者が、「ねたみにかられて」行動したら、神のみわざの大きな障害になります。
 成功しているひとびとを見るとき、自分のこころをよく観察することが必要です。 「・・・
それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、
悪者の栄えるのを見たからである。」
(詩篇 73:3)
 



(仙台聖泉キリスト教会員)