同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 罪について(17)—

野澤 睦雄


「人に思慮があれば、怒りをおそくする。」(箴言 19:11)
「石は重く、砂も重い。 しかし愚か者の怒りはそのどちらよりも重い。 」(箴言 27:3)
「あざける者たちは町を騒がし、 知恵のある人々は怒りを静める。」(箴言 29:8)

<2.各論>
(2)怒り <7>


 怒りについて、先に拾い上げた箴言に述べられている事柄の考察を続けましょう。
 もし私たちが聖書に書かれていることを考察しないならば、
「福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。」(ヘブル 4:1)
と書いてあるように、みことばが私たちに結びつけられることがなく、それが私たちの益にならない、ということになります。

 私たちは・・ひとそれぞれ・・というように、違いがあって、ある人は怒りやすいけれども、そうでない人もいます。
また怒ってもそのあらわし方が違います。ある人は、腹立ちを露骨にあらわしますし、こころの内は本当に怒っていても、それを表面にださないひともいます。

 あなたは「怒る」ひとですか?
「怒りっぽい、すぐ怒る」ひとですか?
自分のこころをよく観察しましょう。
おなじ箴言にこう書かれています。

「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。  いのちの泉はこれからわく。」 (箴言 4:23)

箴言は「知恵」「思慮」と怒りの関係を述べ、怒るひとは愚かだと結論します。

しかしまた次のことも知っておくべきです。十戒には「汝、怒るなかれ」とは書かれていません。
イエス・キリストは怒りました。
「怒る」と「叱る」は親密な関係にあり、怒らないと叱ることができないものです。
何に怒り、何に怒らないか、知恵ある者とならせていただきたいものです。

「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」(ヤコブ 1:4)

 怒りに関することがらに対処できる品性と知恵を与えられるように神に求めましょう。

(仙台聖泉キリスト教会員)