聖書研究
— 罪について(13)—
野澤 睦雄
「エサウは、父がヤコブを祝福したあの祝福のことでヤコブを恨んだ。
それでエサウは心の中で言った。「父の喪の日も近づいている。そのとき、弟ヤコブを殺してやろう。」
兄エサウの言ったことがリベカに伝えられると、彼女は使いをやり、弟ヤコブを呼び寄せて言った。
「よく聞きなさい。兄さんのエサウはあなたを殺してうっぷんを晴らそうとしています。 だからわが子よ。今、私の言うことを聞いて、すぐ立って、ハランへ、私の兄ラバンのところへ逃げなさい。兄さんの憤りがおさまるまで、しばらくラバンのところにとどまっていなさい。」」(創世記 27:41-44)
<2.各論>
(2)怒り <3>
冒頭に掲げたみことばは、ヤコブが、父イサクが兄のエサウを祝福しようとしたとき、母親のリベカにそそのかされて、イサクをだまし、自分がエサウだといって、イサクがエサウ与えようとした祝福を横取りしたことに始まったできごとのところです。
エサウは恨んだと書かれていますが、同時に怒ったのであることは、後に続いているリベカのことばに表れています。
ヤコブが逃亡してしまったので、カインがアベルを殺してしまったように果たせませんでしたが、エサウの怒りは「殺意」を引き起こしました。
私たちは、殺人を恐ろしい罪と感じますが、怒りについてはそんなに大事(おおごと)だとは思わないのではないでしょうか。
前回も掲げていますが、
「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」(ヤコブ 1:20)
そして次のパウロのすすめを記憶していましょう。
「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。
「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ 12:19-21) 「彼の頭に炭火を積むことになる」とは大変興味深いことではないでしょうか。
(仙台聖泉キリスト教会員)