聖書研究
— 罪について(15)—
野澤 睦雄
「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。 」(エペソ 4:29-32)
<2.各論>
(2)怒り <5>
怒りは「私たちのこころから捨て去りなさい」と、パウロが命令したことの中に数えられています。
創世記の最後の部分に記されている、ヤコブが世を去るとき、子らを前して「これから起こることを告げよう」
といって述べたことばの中に、こういう一節があります。
「シメオンとレビとは兄弟、
彼らの剣は暴虐の道具。
わがたましいよ。彼らの仲間に加わるな。
わが心よ。彼らのつどいに連なるな。
彼らは怒りにまかせて人を殺し
、
ほしいままに牛の足の筋を切ったから。
のろわれよ。彼らの激しい怒りと、
彼らのはなはだしい憤りとは。
私は彼らをヤコブの中で分け、
イスラエルの中に散らそう。」
(創世記 49-5-7)
その背景は、シェケムの地の族長ハモルの息子シェケムによって、彼らの姉妹ディナが汚されたことが発端となったできごとです。ハモルとシェケムは誠心誠意をもって対応しようとしたのですが、シメオンとレビは彼らに「割礼を受ければそれを承知する」と偽りを言って、その地の住民に割礼を受けさせ、傷が痛んでいるとき町を襲って男子を皆殺しにし、彼らの全財産を略奪し、女こどもを虜にしたことにあります。
「のろわれよ。彼らの激しい怒りと、彼らのはなはだしい憤りとは。」
「のろわれよ。」はヤコブの思いですが、神がそれを承認されているのです。
やがて彼らはエジプトで人数が増え、イスラエル国民となって帰ってきました。そして約束のカナンの地でそれぞれの種族ごとに割り当てられた地を領有するようになりましたが、シメオンは自分の領地を持つことができず、ユダの中に分散されました。レビは領地がなく、祭司の働きの助力者としてイスラエルの中に散らされヤコブの述べたことが成就しました。
怒る人に、神が「呪われよ」と言われることは恐ろしいことではありませんか。