同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 罪について(16)—

野澤 睦雄


「愚か者は自分の怒りをすぐ現す。 」(箴言 12:16)
「愛する兄弟たち。・・・怒るにはおそいようにしなさい。」(ヤコブ 1:19)

<2.各論>
(2)怒り <6>


 冒頭のみことばはもう何回か引用してきましたが、とどまって考察したいと思います。
最初のみことばは、現れるものは「怒り」でそれをあらわす主体は「愚か者」です。

 大事なことは、「怒りをあらわす」ことに対する主体性を自分が持っているということです。

 もうひとつ、愚か者は「すぐ」怒るということです。ヤコブはそれを「おそく」するようにと勧めています。
怒りを「おそくする」とはどういうこころの営みになるでしょうか。
ひとが怒るのは、不条理な取り扱いを受けた時でしょう。

「人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。」 (ペテロⅠ 2:19)
「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」(ペテロⅠ 3:9)


 ペテロのすすめを、こころに納めて、そのように生きることにつとめるなら、「怒りをおそくする」ことができるようになるでしょう。
「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。」

(仙台聖泉キリスト教会員)