同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 罪について(14)—

野澤 睦雄


「愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。」(ヤコブ 1:19)


<2.各論>
(2)怒り <4>


 怒りということばが聖書のどこに書かれ、誰が怒っているのか調べてみると、神が怒っておられることが圧倒的に多いことに驚くでしょう。
神は、「主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、・・」(出エジプト記 34:6)と自らご自身紹介された方であるのに、旧約聖書のはじめから終わりまで、神は怒り続けておられなければなりませんでした。
人間の怒りについては、誰が誰に対してなぜ怒ったか、いくつかの事例が書かれていますが事実を記述しているのみです。
例えば、アハブについてこのようにかかれています。
「このことがあって後のこと。イズレエル人ナボテはイズレエルにぶどう畑を持っていた。それはサマリヤの王アハブの宮殿のそばにあった。アハブはナボテに次のように言って頼んだ。「あなたのぶどう畑を私に譲ってもらいたい。あれは私の家のすぐ隣にあるので、私の野菜畑にしたいのだが。その代わりに、あれよりもっと良いぶどう畑をあげよう。もしあなたがそれでよいと思うなら、それ相当の代価を銀で支払おう。」ナボテはアハブに言った。「主によって、私には、ありえないことです。私の先祖のゆずりの地をあなたに与えるとは。」アハブは不きげんになり、激しく怒りながら、自分の家に入った。イズレエル人ナボテが彼に、「私の先祖のゆずりの地をあなたに譲れません」と言ったからである。彼は寝台に横になり、顔をそむけて食事もしようとはしなかった。」(列王記Ⅰ 21:1-4)
一国の国王が、たかがブドウ畑を買いたいと言って断られただけで、子どものようにじぶくる(最近このことばは使われなくなったでしょうか?)とは。いやはや!


 怒ることの意味合いが多く書かれているのは箴言です。それを読んで、こころに留めておくならば、きっと箴言の主張しているように、それが私たちの知恵となるでしょう。

「愚か者は自分の怒りをすぐ現す。」(箴言 12:16)
「知恵のある者は用心深くて悪を避け、  愚かな者は怒りやすくて自信が強い。」(14:16)
「短気な者(怒りやすい人)は愚かなことをする。」(12:17)
「怒りをおそくする者は英知を増し、気の短い者は愚かさを増す。」(14:29)
「柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。」(15:1)
「激しやすい者は争いを引き起こし、怒りをおそくする者はいさかいを静める。」(15:18)
「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。」(16:32)
「人は自分の愚かさによってその生活を滅ぼす。しかもその心は主に向かって激しく怒る。」(19:3)
「人に思慮があれば、怒りをおそくする。」(19:11)
「ひそかな贈り物は怒りをなだめ、ふところのわいろは激しい憤りをなだめる。」(21:14)
「不正を蒔く者はわざわいを刈り取る。彼の怒りの杖はすたれる。」(22:8)
「あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、あなたは心から楽しんではならない。主がそれを見て、御心を痛め、彼への怒りをやめられるといけないから。」(24:17-18)
「石は重く、砂も重い。しかし愚か者の怒りはそのどちらよりも重い。」(27:3)
「憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかることができよう。」(27:4)
「あざける者たちは町を騒がし、知恵のある人々は怒りを静める。」(29:8)
「知恵のある人が愚か者を訴えて争うと、愚か者は怒り、あざ笑い、休むことがない。」(29:9)
「愚かな者は怒りをぶちまける。しかし知恵のある者はそれを内におさめる。」(29:11)
「怒る者は争いを引き起こし、憤る者は多くのそむきの罪を犯す。」(29:22)
「乳をかき回すと凝乳ができる。鼻をねじると血が出る。怒りをかき回すと争いが起こる。」(30:33)


(仙台聖泉キリスト教会員)