同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書研究

— 罪について(12)—

野澤 睦雄


「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」(ヤコブ 1:20)


<2.各論>
(2)怒り <2>


 創世記4章、アダムとエバの最初の子どもたちの記事がこう書かれています。
・・人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た」と言った。
彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。
そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
・・(創世記 4:1-7)
この箇所は、「ねたみ」の項としても取り上げました。
 カインはなぜ怒ったのでしょうか?
怒りについて考えてみますと、何の原因もなく怒ることはまずありません。それで、アベルを妬んだためであると判断しました。
 ねたみの項で論じましたが、人をねたむ原因は、自分が欲しいもの・・富、名誉、地位、権力、知識、夫、妻、子ども、この世のありとあらゆるもの・・を隣人が手に入れたのを見ることにあります。
 読者の皆さんがご存じのように、カインは弟のアベルの捧げ物が神に受け入れられ、自分の捧げ物は受け入れてもらえなかったことに怒ったのですが、怒りにとどまらずついに弟を殺すに至りました。

 怒るできごとに遭遇したときどうすべきか、こう勧められています。
「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」・・ 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ 12:17-21)

(仙台聖泉キリスト教会員)