同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 礼拝のメッセージに生きる —

tadasi-san

玉城 義



「私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」 (ヘブル 10:39)

 新しい年が始まりました。去年も私の家族が教会の中で変わらずに生かして頂いたことを心から感謝致します。
ここ1年、2年の間、礼拝のメッセージで語られたことは、アブラハム、イサク、ヤコブの信仰のあり方であります。
 信仰の父と言われたアブラハムは、神の仰せに従い、一つ一つのことを信じて、信仰の道を切り開いていきました。
その信仰を受け継いだイサクも一つ一つのことを信じて歩んできました。
ただイサク自身に問われる時がきた時、主観に引きずられるものを持っています。
 私自身の問題として、私もイサクと同じように主観に引きずられるものを持っています。
そのことが家庭の中において、特に家内に対して悲しい現実の姿をみせています。
主観からの解放を願いますが、なかなか思うようにならない自分自身の弱さを覚えます。
 しかし、もう一度神に向き合い、神から自分に示されていることは、5年、15年かけて苦悩しながらも、自分自身の弱さに対してどう取り組んでいくか、自らを変えていくかであります。
それがころから生きていく子ども達の為に生きることだと思います。そしていつか子ども達がヨセフのように神に出会い、神とともに生きていくことを選び取っていってくれることを願い、また新しい1年も取り組んでいきたく思います。
冒頭に掲げた御言葉のように、一つ一つの神からの示しに対して、恐れ退いて滅びるものでなくして、信じて果敢に生きていくものでありたく願います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)