同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 「自分へ・・・妻の視点」を執筆して ~

石井 和幸

「それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。」(詩篇90:12) 

  7月の初め、8月号の同労者の原稿をどのようなテーマで書けばよいか、山本嘉納牧師に相談させていただいたとき、思いもよらぬ答えが返ってきました。
先生は「それじゃぁねえ・・・」とまるで最初から考えていたかのように、「妻の視点で自分について書く」ことを勧められました。「くれぐれも、奥さんがどう考えているか・・・だからね。」

 その日以来、私は妻の立場や、妻がどう思うかを考え、予測する・・・ということを始めました。と同時に、結婚が与えられて10年がたち、いかに妻の気持ちを考えることが薄れてきていたか・・・と反省を促される日々となりました。
原稿締切寸前まで、私は妻に対し、8月号の原稿のテーマを明かしませんでした。では、実際妻に対して愛を伴う行動が出来ていたかというと、そうではなく、逆に妻を傷つけてしまうような出来事が重なりました。
毎月、同労者の原稿を入稿する前に妻に校正をしてもらうのですが、今回は校正直前になって初めてテーマを明かしました、そして、1から7まで項目別に箇条書きした第一稿を妻に見せました。すると妻は、「あなたは全然私の視点、気持ちがわかっていないし、だいいち何故あなたは私にまず聞くことをしないの?」という返答をされてしまいました。「まず、ちゃんと私の気持ちを聞いてほしい・・・」締め切りが迫っていましたが、しばし妻の話を聞き、今までつっかえていたことを洗い出しました。このような夫婦の会話は久しぶりのような気がしました。そして次の日、原稿を書き直し、妻に校正してもらいました。

   同労者の原稿を入稿する・・・このことは私たち夫婦にとって、毎月神の前に立ち止まって遜り、ふたりでもういちど家庭における信仰、教会における信仰生活を見直すときであり、神に対し、隣人に対し、愛する子どもに対し真実であったかどうかを問われるときでありました。今回も原稿を書きながら、足りない私自身の姿を示されるのと同時に、それをどのようにしていくのか、考えさせられたときでありました。

 このコーナーでの私の連載は今号をもちまして終わります。読んでくださった方々に心から感謝するとともに、なお主にある同労者として主のみわざがなされることをともに祈っていきたいと思います。主の導きに感謝し、主に栄光を帰しつつ。

「あなたのみわざをあなたのしもべらに、あなたのご威光を彼らの子らに見せてください。私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にありますように。そして、私たちの手のわざを確かなものにしてください。どうか、私たちの手のわざを確かなものにしてください。」 (詩篇90:16,17)

(仙台聖泉キリスト教会 会員)