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—  質問してみよう「聖書を学ぶ会」報告-98  —

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山本 咲

(写真は教会キャンプから)


サムエル記Ⅰ 23章

  引き続きダビデがサウルに追われているところが取り上げられている。ここには興味深い対比と、共通点が描き出され、ダビデとサウルの決定的な違いが表されている。サウルはすでに祭司の全家を滅ぼすという罪を犯してしまった事実を先月取り上げたが、そのようなサウルであっても彼を支持し、彼のために働く者たちがいたことも語った。イスラエルの王という役職に本来求められていたのは、イスラエルをすべ治めるのは神であることを信じ、その道を歩み、従い、民を導くことであった。しかし彼はその道を歩むことができなかった。確かに彼には多くの功績があった。民を敵から守り、国のために働き続けていた。しかし、イスラエルの王としては失格者であった。神の道に従うことを選ぶ民であれば、本来サウルの王としての行いを指摘し、悔い改めを迫るべきであった。彼の姿がイスラエルの王としては正しくないということを明らかにし、その姿によって神の全権や神の真理を示さなければならなかったのである。私たちは命を危ぶまれるということはないが、相手の罪を言い表すことによって自らの地位や、築き上げてきたものを捨てなければならないことがあるかもしれない。しかしその時に、自分ではなく信仰を選び取れるかが重要なのである。イスラエルの民はどうだったのか。先ほど読んだ通り、彼らはサウルの姿に揺さぶられ、信仰を選び取ることができなかった。そんな民の姿がケイラの人々やその後のダビデが逃げた先の人々の姿に現れている。ダビデはケイラの町をペリシテから救ったのにもかかわらず、その後ダビデを裏切ることが神によって告げられている。神への信仰と忠実を貫き通す民ならば、このようなことにはならなかっただろう。ダビデは必死に逃げながら神により頼み、真実に生き抜くことを目指し、悲しみ、恐れの中で生き続けている姿がある。事実、彼はケイラの町を救った。ダビデと共にいた者たちがやめるべきだと忠告したが、あくまで彼は神に聞き従い、この町を救ったのである。このために彼は二度、神に「ケイラを救うべきか」と問いかけている。そして神に救うように告げられ、従ったのである。ダビデはこのことによって「きっとこの後、神によって良き道に導かれていくのではないだろうか」という期待を抱いていたかもしれない。普通に考えるならばそうなるだろう場面である。しかし、ケイラの人々が裏切ることも告げられてしまった。彼はより悩み、悲しんだだろう。「なぜですか…あなたはケイラを救いなさいと言われたではありませんか、それなのにこんな仕打ちあんまりだ」と言ってもおかしくないような状況である。彼も大いに悩んだだろう。しかし彼は、そこで神に訴えるのではなく、神に従い、真実に生きぬくことに徹底したのである。そんな悲しみの中で彼のもとに来たのはヨナタンであった。あれだけ多くの支持者と手段を持ちながらダビデを探しているサウルが捕らえることはかなわないのに、ヨナタンはこの状況でダビデと会うことができている。ヨナタンにとってサウル側にこのことが伝わることや、見つかることがあってはならない。細心の注意を払って共に行く者や、道を進んだことだろう。そして彼はダビデのもとに行き、励ますことができたのである。その後、山の反対側までサウルは迫ってきた。サウルは先月開かれたところでは、「誰も私を気にしてくれない」と語り、祭司の家を滅ぼしたにもかかわらず、今回行く先々でサウルを支持する民によってダビデの近くまで行くことができたならば、「主が私を祝福し、主が私のために計らってくださった」と語っているのである。信仰の在り方の崩壊が見えるようである。そして山を一つ隔てた先にまで彼はたどり着いた。そして、サウルがさあ今からという時に「ペリシテが攻めてきた」という知らせが届くのである。ダビデはその去っていくサウルの後姿を見ながら間一髪で助けられたことを知るのである。山から一つ逃げ方を間違えば彼はサウルに捕まっていただろう。しかし神はその所に守りの御手を働かせられ、仕切りの岩を与えられたのである。ダビデはこのような経験を通して「私が信じる神は何があっても共におられ、約束して下さったことを果たしてくださる、そのような神である」という確信を抱いていくのである。対するサウルはたびたび、「ああ神が私に手を貸してくださっている」や「民が私に力を貸すのは神の助けがあるからだ」と語っている。しかし、結局は何もことは起こらず、変わらない現状がそこにある。なぜならその置かれた状況に一喜一憂し、左右されているような信仰だからである。いいことがあれば感謝、悪いことがあるとあてつけるというようなどうしようもないもので、そこにはダビデのような神に対する信頼を持った信仰でもなければ、ただ起きた出来事を勝手に都合よく結びつけているだけの形だけの信仰でしかないのである。私たちの信仰生活も同じである。サウルのようなその時、行き当たりばったりで一喜一憂している信仰ではなく、神がどのようにしてくださるのかを捉えながら、神がよしとされるその時までダビデのように戦い抜いていかなければならない。そのような私たちの信仰が神によって問われ続けているのである。なお信じ、歩み続けていきたく願う。


Q:日曜日の礼拝の中でヤコブがペヌエルでの出来事を越え、神の臨在を信じ、エサウとの問題を乗り越えていくことが語られていました。私自身も問題に直面し、そのことを乗り越えていく中で、神を信じて何を成すかべきかと行動しようと思うのですが、現実的に行動するとそこまで至らないことが多いです。神を意識するところに自らを置いておくためにはどうすればいいのでしょう。

A:一面現場の事柄は現場の事柄として治めなければならない事実がある。ダビデは今回のケイラの件でも一つ一つ神に伺いを立て、ことを進めているが、ケイラの町を守るためにどのような布陣をするか、どのように戦い抜くかということは彼の中から出たものである。それによって彼はケイラの町を神に従い、救いだした。これが彼に任されたことであった。また彼はここで自らの部下を見る良い機会にもなっただろう。神の言葉だろうが、今行くべきではないと忠告した人物がいたことも考えられるし、逆にダビデの信仰を共に担い、ダビデに従っていくという道を選んだ者たちもいただろう。サウルの側ももちろんそのような選別がされていたと考えられる。彼は失格者であり、多くの罪が露見している事実がありながら、支持者がいるのである。そしてダビデと同じようにサウルが神に感謝をする姿を見るときに、「サウル王は確かに神を信じているのだ」「ダビデよりもやはりサウル王である」と思う人々がいた。サウルもそのような者たちの姿をみて、自らを支持する者には相応の地位を与え、逆にサウルの罪を言い表すようなものはどんどんと追いやっていっただろう。そのようなことは私たちの大切な部分を育み、正しい視点をもってことを考えていくうえで必要なことである。仕事の場合、利益を上げなければならないということが現場にはある。真実に歩むことはもちろんだが、そのなかで信仰ということに全てゆだねるということを間違ってとらえてしまうと、信仰によってどうかしてくださいと祈りながら自分は何の努力も、取り組みもしないというような行動をとってしまうことがある。しかし本来は悩み、恐れ、翻弄されながらも自らにできることに取り組み、そこから先、どうしてもできないという部分が出てきたとき、「これはあなたが示された道です。私は信じて進んでいきます。導いてください」と信仰によってことを行っていくという形になるのである。信仰と現実は相反するものではない。あなたの場合、会社の大切な部分を担っていくうえで、焦っていることもあるだろう。大切な家庭や子どもたちを守るために自分がどのように働くべきかと考え、取り組んでいる。ダビデも同じであった。神に伺い、そこに神が示される道は見えていても、その道をどのように歩むのか、誰を用いていくのかということは詳しく示されていたわけではない。彼もその任を果たしていくために悩み、恐れ、多くの時間を費やしたことだろう。しかし、このような機会を通しながら、彼は確実に自らが神の働きを行っていくうえで、必要な能力を持ち仕事を任せられる部下を選別し、評価し、正しく用いられるべきところに采配していく経験を積んだ。その結果彼はより豊かに神の働きをすることができるようになったのである。彼の問題は依然として変わらない。簡単に解決しているわけではない。ケイラが彼を守るならばこんなに良い状況はない。しかし現実はそうではない。ケイラはサウルにダビデを売り渡そうとしてしまう。現実はそのようなものである。私たちの生活も一足飛びにすべてが祈ったから、願ったからよくなるわけではない。しかしそこでくじけてしまうようでは、信仰ではない。もともと私たちは私たちがよい人生を送るために、順風満帆な生活を送るために神を信仰しているわけではないだろう。あくまで神の栄光を表すために私たちはことを行っていくのである。先ほども述べたようにダビデは確かにケイラに助けてもらうことはできなかった。ペリシテから守ったにもかかわらずだ。まるですべてが無に帰したようである。しかしそうではなかった。彼は神に従い、その栄光を表した。私たちも同じように信仰者として神の栄光を表すべきである。時にはケイラの裏切りにも合わなければならない。しかし、神の国とその義を第一に生きたものにはすべてのものが与えられると約束されている。その真理を持つならば、世に私たち信仰者の違いを表し続けることができる。それはその信仰者の姿を見るものに、神の姿を現すものとなる。そしてそれが次の時代、後継者を生み出すことにつながっていくのである。


Q:ヤコブのことが礼拝で語られた際、彼は神の臨在ということにこだわり続けたということが取り上げられたのですが、彼のそのこだわりはどこから来たと先生は考えますか。どこかで学んだのでしょうか。

A:私は賜物だったと思う。彼の気質の中に、人生での経験が混ざって、彼のこだわりが形作られたのだと考える。そこには様々な要因があり、決して「これだ」という分かりやすいものがあったわけではないと思う。私は自分の子どもを見るときに、様々な性質を見つける。それは私たち親に似たものだけでなく、祖父母に似ている点も見つけることもある。それが一面彼らの中に形作られた個性なのである。私たちの中には個性や違いというものがある。それはその人の性質であり、誰にでも備わっているものである。似ていようとも同じものではなく、だからこそ人が一人ではなく、集まってこそできることもある。またある一つの面を捉えヤコブとエサウを比較したとき、ヤコブは神にこだわったという面において私たちは優れているととらえるが、世の中的にとらえるならば、エサウは成功者である。彼はその意味で神にとらわれることなく、自由に伸び伸びと育ったのにもかかわらず400人もの人々を集めることができるほどの経済を持っていた。ここまで至るのにヤコブもエサウも同じ期間がかかっている。ヤコブがやっとの思いでラバンから逃れ、帰ってきたのにもかかわらず、エサウはさらに多くのものを得ていた。しかし、聖書の視点でとらえられるものはヤコブなのである。ヤコブが信仰によって得たものは大きく2つある。1つ目はエジプトの地に行くという命令にその全家がつき従った事実である。エサウは確かに400人もの人々を集めたかもしれない。しかし、一言解散となれば、そこには誰も残らないであろう。それに対して、ヤコブは12人の子どもとその家族がすべて彼についてきたのである。そしてエジプトでもヤコブの周りを絶えず12人が囲っていた。同時に彼らに預言を与えることができる関係ができたのである。それは自由な人格がそれぞれ生きている中でこのようなことができるのはひとえにヤコブが神に従ったからこそ、神がなされた業なのである。2つ目は彼の葬儀がエジプトのパロと同じように扱われたことである。ヤコブが死んだのち、エジプトは70日間泣き悲しんだ。そして彼をマクペラの洞穴に葬るために出かけて行ったが、そこにはヨセフの全家族、その兄弟、父の家族だけに収まらず、パロのすべての家臣たち、パロの家の長老たち、エジプトの国のすべての長老たち、戦車と騎兵というとても大きな団体であった。またそこでも哀悼の式が行われ、7日もの期間そのことが行われた。これをみたカナン人が「エジプトの荘厳な葬儀だ」というほどの葬儀であった。それほどのことが行われていた。また私は先日の礼拝で開かずに終わってしまったが、ヤコブは生前ヨセフに連れられ、エジプトのパロの王の前に立つときがある(創世記47章7節~10節)。しかし彼は「私の人生は不幸せだ」と語っている。これは決して不信仰でこのように言っているのではない。彼の生涯にある祝福がパロには理解できなかったことの故にそのように語っているのである。イスラエルは神の王子と呼ばれ、神の王権を引き継ぐ存在であった。パロは王となる存在として生まれ、その位置に立つ人物となった。それに対して、ヤコブは神に従い、翻弄され、不幸せのような人生に見えるだろう道を歩きぬいた。その故に、彼はイスラエルという神の王子と呼ばれる位置までたつことができたのである。それはひとえに神に従い続けた彼への神からの祝福である。神を信じ、従ったゆえに得られたものであり、エサウとは比べ物にならない祝福なのである。このような中に自らを投じてその道を進んでいけるか、それともそんな細道は進んでいけないとあきらめてしまうかが大きく私たちを左右する問題になる。聖書では神は私たちを乗り越えられないような試練には合わせないと語る。しかし、それは逆にとるならば、「試練」という「私たちが神の働きをなしうる器になる機会」が、耐えられないならば神によってよけられてしまうということなのである。そのことを理解することができたなら、私たちは神の摂理の細道を生き抜いていきたいと神に自らの信仰をゆだねることができ、その献身を行っていくことができるのである。


Q:先ほどの話の中でも出てきたのですが、神が私たちを整えてくださる、それが配剤であると語られたのですが、私は一日の働きを終え、集会に出るとき、初めはそのまま引きずっているような状態なのですが、そこからだんだんと集会の中で整えられていくことを感じるときにそれが配剤なのかなと感じました。そのようなとらえ方でもよいのですか。

A:れにただ答えることはできるが、私はそのことも含めてあなたが考えていくとよいと思う。これは神が行ってくださったのか、それともそうでないのか。そう一つ一つを考えていくと、神が行ってくださったことを感謝もできるし、今後起こることが神によって恵まれているのかがわかってくるのである。 私の場合で例を上げるなら、あなたが普段説教をよく聞いていることを私は講壇で語っているときに感じていた。だからあなたが今後どのように生きていくのかと考えた時に、あなたは大丈夫だと感じていた。それは、神が私に与えてくださった感覚なのである。私にとっての基準はメッセージをきちんと聞いているかだったのである。それは説教の中であなたの中に培われているエッセンスがあるからだ。私たち信仰者はそのような点が大切になる。聖書知識などではなく、その人の中に培われている霊性というものが大切なのだと考える。それを持たない人にはなぜそんな考え方ができるのと言われてもおかしくないようなことなのである。あなたは結婚後、奥さんがこれから家庭のこと、子どもを与えられるにあたって会社に働き方を変えたいということを伝える際、奥さんと一緒にその交渉に臨んだ。それは奥さんのために格好をつけようというだけでできるものではない。あなたが奥さんを愛しているからこその行動であり、あなたの霊的価値観が彼女のためにそのことをしようという感情をあなたに起こさせたものだろう。なぜならそのことをすれば、同じ職場であるゆえにあなたの仕事にも大きな影響を与えることになるからである。しかしあなたは奥さんを愛するからそのことを行っていったのである。子どもを注意する、叱るという面でも私たちにはこの霊性というものが重要になる。子どもの行動に神を蔑ろにするような様子が見えた時、この霊性が私たちに怒りを覚えさせるのである。そして的確に子どものその態度を注意することができる。それはいかに親が神の存在を大切にしているか、その深い信仰を伝えることにもつながってくる。だからこそ、私たちは霊性というものを大切にしていかなければならない。質問に戻るが、だからこそ私の答えではなくあなたの答えを出すべきである。配剤であるかどうかはあなたが突き詰めていくべきことだ。あなたが霊性によって神からの配剤であると感じるか、様々な物事を祝福ととらえられるかということである。これからもなお考え、取り組み続けていってほしいと願う。


Q:コリントⅠ 1章21節に宣教の言葉の愚かさということが語られているのですが、神の言葉について、なぜこのようなことを語ったのですか。

A:私の感覚で述べるならば、パウロだからこそ、このような言葉を用いていたのだと思う。パウロの人柄が現れる文だと感じる。私たちの教会の姿を一つとっても、40年50年という長い教会生活の中で、信仰が完璧ではないにしろ受け継がれ、現在の形になっている。私たちは上手くことを行っていくことよりも、一見大変そうに、難しそうに見えるようなことを行っている。しかしそれは私たちの長い教会生活の中で得たものを受け継ぎ、改善を重ねつつもその本質というものを変えずに受け継ぎ続けたものである。それは失敗や愚かのようにも見えるだろうし、もっといい方法がといわれるかもしれない。しかし、このことによって私たちは信仰を繋ぎ続けたのである。パウロが述べたかったのは特にイエス・キリストの十字架についてだっただろう。その十字架は一見多くの人には愚かな、失敗の姿に見えただろう。しかし、その中に救いを見出したものにだけ、このことが伝えられたのである。もっとわかりやすい方法が、成功ともいえる方法があったのではないかという人もいるだろう。しかしこの姿が必要だったことを彼は彼自身の言葉でそのように表しているのである。


Q:物事はいいことと悪いことの両面を抱えていることがありますが、時と場合を考えて選び取ればいいという問題ではなく、どうしても答えが出ないとき、それはどのようにしていくべきでしょう。時間をかけて考えていくことがいいのか、それとも誰かに相談するべきなのでしょうか。

A:正解というものがすべていいとは限らない。ダビデは「ケイラを助けなさい」と言われたからそのとおり行った。しかしそれは良いことにつながったわけではない。私は人生を歩んでみて、悩みながらも真実に精一杯を考え、行動したことは確かに実を結ぶと感じる。50人がこれを行おうと言うが、ある一人の人を愛するために思いとどまることもある。私たちの営みはそのようなことの中で形作られていく。急に奇跡のようなことが起こればいいな、と思うがそんなことは起こらない。あなたもそう思っていたほうがいい。奇跡というよりむしろ、日々の営みの中で少しずつ形成されたものが、最終的に形になるのである。私も仕事の面で悩んだことがある。私が昔から副業でやっている仕事は今でこそ5時半には帰ってこられるが、昔は夜9時や10時を超えるときもあった。しかしそれをやってこられたのは私が家庭をあけていても私の父である光明牧師が家を守っていてくれたからである。しかしそれは私が当時守らなければならなかったところであった。私はそのことを悩み、牧師であるのに、どこまでその仕事をするべきかと考えていた。しかし、私は働いていた信徒の方の工場を支え、助けるためにその所で働くべきだと思っていた。そして、悩むたびに、「神よ、このところを収める私をいつくしんでください」と祈っていた。その結果は多くの祝福であふれていた。あなたもこれからの人生に多くのことがあるだろう。しかし、考えていくことが必要だろう。


Q:先日礼拝で親愛について語られたのですが、詳しく教えてください。

A:アメリカでは上司のほうが部下に対して親愛を表す際に自分のファーストネームを呼ぶことを許可するということをしている。そのことを取り上げ、文化的に遜りがあるということを語ったのである。つまり目上の者のほうが「私のことを山本先生じゃなく嘉納と呼んでくれ」というのである。日本は逆に下の者が慕い続けて関係を築くような文化である。それはアメリカという国の背景に宗教性があり、遜るということが根付いているからである。そのはじめはもちろん、イエス・キリストが神の姿を捨て、人の姿になってくださったことに始まっているのである。私たち信仰者は愛というものがよいものを作り出すという考えを持っている。それは神が私たちに教えてくださっているものであり、大切にするべきものである。例えば、儲けるということ1つとってしても、ここで儲けることを優先にするのか、相手のことを考え、儲けよりも相手を優先するのかということもあるだろう。相手に対する従順も何によってきているのか、恐れからきているのか、利益があるからしているのかなどである。私たちの神への従順もそのような理由ではなく、愛からくるべきであるということを語っているのである。しかしなぜ私がその愛ということよりもまず従順ということを礼拝で取り上げ、その後、親愛へと話を移していったのかというと、先に親愛で話を進めると、親愛の故に神との関係がなれ合いや、無礼をも考えないような、権威者に対する関係を忘れてしまう可能性があるからである。神はもちろん親愛をもって私たちにかかわってくださる。だからこそ私たちは受けるだけで終わらず、受けた愛を返していくべきだろう。そしてその中で一番大きな愛であるイエス・キリストの十字架の価値を知るからこそ、私たちはその価値に親愛をもって神に返していくができるのである。ヤコブはパロの前に不幸せと語っている。しかし、彼は神に対する親愛を守ってきたし、神も親愛をもって接してくださったということを証している。先ほどの話ではないが、アブラハムとイサクの時代にはエジプトに降りる許可は神からおりなかった。しかし、ヤコブの時代、神はエジプトに下っていくことをよしとされた。それが神の摂理である。ヤコブはヨセフとの失われた20年分を埋めるようにエジプトで共に生きることをよしとされた。それが神の摂理であり、御計画であったのである。摂理と配剤を含め親愛ということを今後の礼拝でも語り続けていくため、なお考えていってもらいたい。


Q:詩編47編を読んでいて、私たちと我らという言葉の二つ出てくるのですが、その違いに意味はあるのですか。

A:私にもわかりません。ただ私の中にあることで答えるなら、私たちの教会では、聖書を読む際に「私」を「わたくし」と読むようにしている。それはひらがなで書かれた「わたし」との区別をするためであり、「わたし」という言葉が神や、イエス・キリストの一人称であるということを注意するためである。今回の場合「我ら」はどちらかというと宣言のような強い意味を加え、「私たち」というのは遜って自らのことを表しているのではないかと私は感じる。話は変わるが、主という言葉が聖書の中に太字で書かれていることがある。それはヘブル語で「神」という言葉であるヤハウェやアドナイということの違いを表すために太字やそのままの字体で書かれているということを表しているのもあるが、写本する際に炭を新しくした、筆を改めたということも語られている。それだけ写本をする際に「主」の存在を意識したのだ。それぐらい言葉というものは重要なのである。カトリックやユダヤ教というものは儀式的な要素や、言葉というものを大切に扱っている部分がある。対して私たちのプロテスタントはその両面が存在する。礼拝一つとっても初めは司会者のもと粛々と厳かな空気で行われるが、説教の中では普段使いの言葉や、日常の話がなされていて、その後、説教が終わるとお祈りとともに、元の厳かな空気に戻るということがなされている。そのような要素が絡み合っているのである。それは一面私たちが話を受け止めやすくするためである。しかしだからと言って、なんでも自由に変えてはいけない。そのような自由があるからこそ聖書を読む際にもその言葉や、霊に訴える空気を大切にしなければならない。光明牧師は昔、私たちが家庭で話をしているとき、「〇〇が頭によみがえった」や「頭に残った」という言葉を「心」に言い換えた。それは私たちに与えられるそのような感覚は霊によって心に与えられるものであるからである。私たちはそのような面にも気を付けていく必要がある。そして特に家庭での言葉には注意していかなければならない。言葉がその家の価値観を作り、感情を自らの中に形作る大切なものになるからである。外の悪い言葉が入ってきたならば、それを改め、人格や、霊性を形作るものとして大切に扱っていかなければならない。

(仙台聖泉キリスト教会会員)