同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 神の家族として —

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石井 ミワ


(写真は教会キャンプから)

「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」(Ⅰペテロ 4:10)

 今年の年頭に、長女の真実が小学校にて、書き初めコンクールのクラス代表として選ばれるということがありました。娘は「クラス代表は嬉しいんだけど、(コンクール課題として)書く内容がどんと祭なんだよね・・・」と私に語り、「やっぱり神様が悲しむことはいやだから、お母さん電話してくれる?」と言ったので、担任の先生に話をし、結局クラス代表は辞退することになりました。
その話を婦人伝道師にしたところ、先生は「そうなら、教会の今年のみことばを書いてくれる?会堂前の掲示板に張り出すから」と真実に言ってくださり、ある姉妹のお姉さんが表装をしてくださって、今、会堂の入り口に掲示していただいております。牧師にも聖句を書いたことでプレゼントをいただき、「学校で評価されなくても、教会でみことばを書いて、みんなに見ていただいて、プレゼントまでもらえて、本当に良かった」と娘は言いました。
教会のなかで、子どもたちが主なる神の家族として成長が与えられている喜びを噛み締め、この出来事を感謝致しました。

5月のゴールデンウィーク終盤に、私たちの教会では1泊2日で教会キャンプの時を持ち、楽しいときを過ごさせていただきました。 私も若い兄弟とともに分科会の一つを担当し、「神の家族」というテーマで学び・分かち合いのときを持ち、私は証の一つとして長女の書初めのエピソードを語らさせていただきました。
グループにてレスポンスをいただくなかに、また、それぞれのお証のなかに、「神の家族」としての教会を大切に生きている姿を見させていただき、また、私自身多くのことを教えられた感謝なひとときでありました。

まず、私自身が「誰を愛し、何をアクションとして起こしていくのか」を問われました。家族が何を必要としているのか、どのような気持ちで集会の一つ一つに臨んでいるのか。そして、私はそこにどう関わるのか、知恵を用いて臨む大切さを教えていただくとともに、家庭のなかで侮りを注意し、闘ってゆくこと。また、家庭が緩みそうになった時にきちんと引き締めていく大切さも教えていただきました。
私にはわからないことでも「そういうものか」と、深く追求せずに、物事を進めてしまうことが多くあります。分科会の中で「夫婦など、隣人との意見の食い違いのなかに問題の本質があるのに、自分から『謙って譲ったのです』と言い、表面だけ仲直りしたように見せてしまう。問題を生半可なままにして時間が移って行ってしまうのは怖いこと。食い違った時には了解するまで指導していただいて解決する必要がある。」と教えていただき、自分ではあまり意識してはいませんでしたが、自らの「そういうものか」という態度のなかに侮りが起こっていることを、自覚させていただきました。
教会という家族の中で、教えられたことを捉えて大切に取り組みその道に歩んだことは、ちゃんと花開き実をつけることを、身をもって学ばせていただいているなぁと感じます。逆に、棚上げにしてしまったことが、とても大きな問題となってしまうことも身をもって学ぶ事実としてあり、小さな働きに見えることも疎かにせずに歩むことを意識していきたいと願いました。

愛する子どもたちのために、家庭のなかで小さな積み重ねを大切にし、身の丈に合った精一杯を、教会の働きの中で喜んで為すことができる者でありたいと願っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)