同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 僕の叔父さん ~

石井 和幸

「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(ヨハネⅠ 5:5)

 先日、私が1歳のころの写真がおさめてあるアルバムを開くと、「行雄おじさんよりブランコをプレゼントされる」と書いてありました。そのブランコは私の妹が大きくなるまで長い間、我が家で使われました。行雄兄は私にとって、幼い頃から親しみやすく、教会でいつも愛をもって接してくださった叔父であります。
 私は教会において、キリスト者の初代である祖父の信仰を父とはまた違った形で受け継いでいる行雄兄に興味を持ちました。決して器用な人ではありませんが、教会においては長い間教会学校教師として生徒を愛し、生徒のために奮闘する姿がありました。今もなお、行雄兄は教会のために、三浦綾子読書会を主催したり、伝道コンサートに知人を誘ったりする営みをされていて、その姿に私も学ばされています。
 私が高校生の頃、休み期間中に石井商工の工場でアルバイトをするときがあり、行雄兄は工場長として私の上司となり、上手とは言えませんが私のために丁寧に仕事を教えてくださいました。そしていつも気にかけてくださったことを覚えています。私が仕事で失敗すると、行雄兄は「(僕の責任だから)気にしない、気にしない」といつもかばってくださいました。
 その後、私が就職し他の会社で武者修行をした後に石井商工に戻り、行雄兄とは5年ほど共に仕事をしました。やがて行雄兄は石井商工に残らずに、65歳で引退することを宣言し、私は行雄兄が円満に引退することができるように、牧師と相談しつついろいろな話を行雄兄とさせていただいたことが今も良い思い出となっています。
 一緒に働いていた当時、私自身が、行雄兄の技術と経験を認めつつも仕事の手法や管理について譲れないこともあり、意見がぶつかって、牧師より「あなたが謝罪しなさい」と言われて謝罪したこともありました。口下手で決して器用とは言えない行雄兄に、私はずいぶん失礼な者であったと思います。  けれども、私のために一生懸命祈り、神の愛を実践されている叔父であります。彼の純粋な信仰に私も教えられたことが多くありました。かつて私の伴侶者が与えられるために祈り、具体的に動いてくださったことも忘れることが出来ません。私は、自分もこれから「おじさん」として甥や姪に接する機会が与えられる・・・そう思うときに、「この人は確かに信仰者として、私のために祈り、愛してくださった」と他の人格をとおして証がなされる、そのような者でありたいと思います。
 なお、叔父と同じ教会にて、ともに歩めることを感謝しつつ、叔父の信仰が息子さんである石井勝兄にいよいよ受け継がれようとしていく、豊かな神の導きをともに喜び、祈り続ける者でありたく思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)