同労者

キリスト教—信徒の志す—

JSF&OBの部屋

~ 我が家の第二子は長男 ~

石井 和幸

「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」(ペテロⅠ 5:6)

 長男が小学校に入学して丸2か月が経とうとしています。
 先日、まだ体に対して大きめのランドセルをしょって、ひとりで学校から帰ってくる姿を目にするときがありました。
マイペースでトボトボ、ある意味自分の世界に浸りながら歩いてくる姿を見て、私が小学一年生のときもきっと同じ姿だったろうなと思わされました。
とはいえ、私が一年生のときには持っていなかった性質、気質を彼は持ち、私とは違った部分を多く持っている長男であることも覚えます。
彼は学校から帰ってくるとすぐ宿題をするそうです。
家内が仕事場から帰宅する夕方には、もうすでに宿題を済ませて自分の好きなことをしています。
まだ一年生なので宿題のボリュームが少ないということもありますが、彼は自分のしたいことをベストな状態でするために、すぐ宿題にとりかかるようです。
また、彼が得意で私が不得手なこと・・・それは、「やる」と決めたなら他のことには目もくれず、そこに集中して完結しようとする姿です。
礼拝の時には、長女と同じように前の席に座って静かに集会に参加することを決めて、両脇や後ろに座るお兄さん、教会学校の先生にお世話になりながら過ごしています。
スイッチを入れて、集会用の服装に着替えて教会に行くまで困難を伴う日もありますが、長女と同様、教会の先生方、兄弟姉妹方に愛され、主の恵みにふれて教会で過ごさせていただいていることを本当に感謝しております。
また彼は、プラモデルを、説明書をみながら根気よく作っているときがあり、このことは飽きっぽかった私の子ども時代とは真逆の光景です。
また、彼は物怖じせず、公園やレストラン、温泉など、同年代の子どもを見つけたりすると、見知らぬ人でも声をかけて話をします。
「ここは自分が心をゆるしても良いところ」と判断をすると、そのような行動をとるようです。
物事に取り組む前に、すぐ好き嫌いや、良し悪しを決めてしまうところもありますが、このことは私自身の弱さ、傾向でもあります。
また、一途な反面、環境やコンディションが整わなかったり、自分にとって不本意なことを他の人からあてがわれたりすると、食事やおやつも「いらない」というくらい、頑なになるときがあります。

4月に教会学校の進級式がありました。
その日は朝から体調がすぐれず、やっとの思いで着替え、支度をすませて教会に向かいました。
司会の先生のリードで、自己紹介と抱負を言うときがもたれましたが、長男は一言もことばを発しませんでした。
私は礼拝後、彼に対し「あなたの気持ちについて理解はするが、司会の先生に従わなかったこと、最後まであなたに愛をもって発言の機会を促した先生に謝罪しなければならない」旨を伝えました。
彼は涙を流して受け入れ、教会学校の先生に謝りました。
私たち親にも不備があり、息子の体調をきちんと整えられなかった反省もありましたが、親や隣人を信じて大切にすること、そして、言われたことに対して従順であるように、まず私たち夫婦が真実でなければないことを痛感した出来事でした。
私は、主なる神を信じて淡々と信仰生活を営む父を見て、信仰を継承したいと思いました。私自身も、父親・男親として、信仰によって魅力が与えられ、信仰によって勝利を得る人生を長男に教え、ともにイエス・キリストの十字架のみもとに行き、ともに生きる歩みをするために、なお主の前にへりくだらなければならないことを覚えます。
 「どうしてお父さん・お母さんは僕にこのことを課すのか?」という子どもの気持ちがひしひしと伝わる場面がこれからも増えてくるかと思いますが、主のみ腕のなかにある恵みと確信に与りつつ、なお家族、子どもとの交わりを大事にする者でありたく思っております。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)