同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 結婚記念日を迎えて —



茂永 進

「子どもらよ。今、わたしに聞き従え。幸いなことよ。わたしの道を守る者は。訓戒を聞いて知恵を得よ。これを無視してはならない。幸いなことよ。日々わたしの戸口のかたわらで見張り、わたしの言うことを聞く人は。なぜなら、わたしを見いだす者は、いのちを見いだし、主から恵みをいただくからだ。わたしに逆らう者は自分自身をそこない、わたしを憎む者はみな、死を愛する。 」(箴言 8:32-36)

 9月15日は私達夫婦の結婚記念日で18年を迎えました。ここまで神の導きがあり、家庭の建設が豊かに導かれてきたことを覚え、心から感謝致します。
 家内は他教団から私に嫁いできてくれました。信じる神は同じでもお互いの育ちや教会の信仰生活に対する様々な価値観、諸集会、伝道活動のあり方の違いなどに夫婦で足並みを揃えるところから始まりました。
 足並みを揃えるには、夫婦だけでは補いきれないことが起こってきました。
その間に立って愛をもって関わり続けて下さったのは、私の教会の牧師と婦人伝道師です。
 私の教会は牧師の信徒に対する牧会がしっかりとなされています。だからといって私はそのことを決して誇らしげに自慢している訳ではありません。
 牧会がしっかりなされているということは、牧師や婦人伝道師のご指導やお勧めに従っていくことが信徒側に求められます。神は人を通してその御業を顕わしなされるということを牧師や婦人伝道師にそのことを見いだしていけるかが問われるのです。この時点で私の教会のあり方に疑問を持たれるクリスチャンの方がおられるかもしれません。
それはやりすぎだとか、夫婦の問題に牧師が干渉するのはどうなんだとか・・。私はここまで信仰生活を歩んできて思うのです。牧会がなされるということは、共にその責任を担って頂ける恵みと信仰者としての霊的成長が与えられ、教会の秩序が保たれ、教会の組織力も強められていくのだと。

 家内は、「郷に入っては郷に従う」という姿勢で嫁いできた私の教会で生きていくことをここまで全うしてきました。時に私が霊的に弱くなっているときにも牧師のメッセージによって導かれている信仰姿勢をもって私を励まし、鼓舞し、立ち上がらせてきてくれました。

また、娘に救いが与えられることを信じて、娘が幼いころより、婦人伝道師のご指導に従って歩んできました。義理の母も孫である娘の成長が教会と共に豊かであったことを喜びつつ、死を目前にして神を見いだし天に召されていきました。娘もその中で神の救いに与ることが出来ました。

 私の教会のあり方は、今の日本のキリスト教会の中で見れば、とても稀少なものであると私は思います。しかし、私の教会は信仰の継承を目標として掲げ、取り組んでいます。つまり大切な真の神の信仰を世襲していこうとしているのです。世襲するためには、日本の歌舞伎や伝統芸能の継承の世界のように、幼き頃より厳しい稽古やしきたりの中に身を置いて生きていくからこそ、代を重ねていけるのと同じように、牧会が不可欠なのです。

 私達夫婦は、その中でクリスチャン家庭を建設し、神の恵み豊かに歩んでくることが出来たことを証します。なお、続いて与えられてきています若い兄弟姉妹のクリスチャン家庭にも牧会による成長と知恵が与えられていますことを感謝し、守られていくことを祈ります。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)