同労者

キリスト教—信徒の志す—

わかふうふ、わかもん、いっしょに学ぼっ!

— 伸びしろを考える —

茂永 進



「人が若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。」(哀歌 3:27)

 私は40代も後半になり、家庭・教会・社会生活の行動の全般においてベースとなっているのは20代、30代における様々な取り組みや経験の蓄積です。
 今の私に対して、「あなたにはまだ、伸びしろがある。もっと頑張りなさい。」なんて言う人がいたとすれば、それは人の伸びしろについて、本当に良くわかっていないと思ってしまいます。40代を過ぎたら人の伸びしろはほとんどないというのが私の持論です。私は、伸びしろがないから人生をあきらめるのではなく、今の自分を客観的に見つめて理解し、間に合わなくなっているところは潔く認めて、周りに協力をしてもらうようにすることが大切だと実感しています。
同時に自分の努力を惜しまず、自分を低迷させないことにも気をつけなければとも思っています。
 私の教会では、数年の間に新しいクリスチャンの家庭と学生から社会人になる方が増えてきました。そこには、新しい家庭を建設していく課題や社会生活における困難があることを思わされます。
 振り返りますと私も怒涛といえば大袈裟ですが・・。結婚するまでの20代は教会生活と社会生活の両立に取り組み、特に音楽による伝道活動や苦手な野球などの団体スポーツによる教会活動に自分の身を置きました。同時に集会出席に重きをおいて、社会と戦い、勝ち取ることに努力しました。家庭においては精神的に弱さのあった父と弟に向き合いました。
 結婚が与えられ、30代は家庭建設が加わり、社会生活においては、転職によって大きく家庭の経済に影響を与えることになり、それを補うために朝の新聞配達をすることにより、体力的、精神的にも自分が試みられました。
 そのような中で家内は、常に私に対峙してきました。どのような状況であれ、教会生活において、手を抜くようなことはあってはならないと。どれほど夫婦喧嘩をし、険悪になったかわかりませんが・・。
 しかし、それが私の、私たち夫婦の信仰の生命線であったと思います。
家内には本当に感謝しています。
20代、30代の大切な時期を迎えている兄弟姉妹にはぜひ、果敢に取り組んで苦労し、伸びしろの幅を広げていってほしいと願います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)