同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 父の信仰を見て —

森田 初実


「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇 103:2)

 上記のみことばは、今年私に与えられたみ言葉です。
 私はここ数年前から自分の体調面に少しずつ衰えを感じています。それは当たり前のことで私も50代の半ば近くなります。
健康面だけならば体をきたえることをすれば、衰えが進んでいく中でも快調に生活することができます。そして自分が衰えていくなぁと感じる場面は生活をしている中で、記憶力がなくなっていたり、社会の中で仕事をしている時に同じことをするにも若い人達とは対等にならないくらい手際が悪かったりと今までに感じたことのない感覚になることがしばしばあります。それは私には信仰者としても霊的な衰えというものを神の前に恐れをおぼえたことであります。霊的な衰えとはどういうものなのか自分自身が神の前に積極的に神のみ旨を求めることができなくなっていくこととか、感謝すること、祈ることができなくなってくることとかあると思いますが、私は私の心が神から離れてしまうことをおそれました。私は自分がいかに罪深い者でありながら、そのどん底から私を救い上げて下さり、私の罪を許して下さり、今まで愛して下さり、私と共に歩んでくださっていることをいつも心にきざみ続けて忘れずにいたいと願っています。
 去年から東京にいた私の父が仙台にきて私たち家族と共に生活をするようになりました。ちょうど一年がたちました。父も神をおそれる者の一人です。父は82才になりましたが、今だに霊的信仰の衰えを感じていません。日課としています聖書通読とデボーションを毎朝もっています。又この半年間は、足の痛みのため手術を2回して、入院生活をしていました。退院を心待ちにしていたのは、礼拝でメッセージをうかがうということでした。生のメッセージを早く聞きたいと、いつも祈っていました。そしてメッセージを聞いていないと心が飢え渇くと話していました。82才の父の信仰の姿勢を私は目の当たりにして感謝しています。そして私も父のような信仰者になりたいと思います。父は孫達のためにいつも祈ります。今はひ孫のためにも祈ります。そして80才をすぎての新しい生活を、神に感謝し続けています。父の神の前に対してのへりくだった心が、私は近く共にいて学ばされます。純粋に父は神を愛し、信頼しています。私もこの純粋な心を常に持ちながら神を愛し生きていくことができるときに霊的な衰えの不安を持つこともなくなることでしょう。神が私の側近くに父と共に生きることを導いて下さったことに感謝致します。
 祈る課題は多くありますが、私の愛する家族も父と共に教会生活をおくれることを導いてくださり、心から感謝しております。

 もう一つ今年与えられたみことばです。
「また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ 5:15-16)

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 慈しみ深き 主の手に引かれて
 この世の旅路を 歩むぞ嬉しき

   慈しみ深き主の友となりて
   御手に引かれつつ
       天に昇りゆかん

 寂しき野辺にも 賑おう里にも
 主は共にまして 我をぞ導く

 行き悩む坂も 怖ずべき谷間も
 主の手に縋りて 安けく過ぎまし

 世の旅果てなば 死の川波をも
 恐れなく渡らん 主の助けあれば
(インマヌエル讃美歌 541)

(仙台聖泉キリスト教会会員)