同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ

— 神と人とに愛されて —


 私は工学博士の学位をもっているが、神がそれをよしとして道を備えてくださったのだと信じている。

まず、私の両親は貧しかった。そのため兄と私の二人を大学に進学させるだけの経済力はなかった。
それを見て取った兄が、高校進学のとき大学にいかないと決めて工業高校にいった。それはもちろん、弟の私に大学に行くことを譲ってくれたのであった。そうでなかったら私が工業高校に行ったことであろう。この同じコラムで「兄貴の学歴」というタイトルで書いたことがある。私は兄に深く感謝している。

私が高校に入学するその年から、国は特別貸与奨学制度をつくり、私は岩手県の第一号特別貸与奨学生になった。神が私のために国(政府)を動かしてその制度を作らせなさったのであると思っている。
それで、学費と生活費の半分以上をその奨学金で賄うことができた。当時の金額で月額3000円であったが今の貨幣価値では10万円くらいに相当する。

私が大学に入るとき、大学生の特別貸与奨学金制度が始まった。書類が遅れたため、岩手県の第二号特別貸与奨学生になった。所得制限が厳しく、確定申告で所得が10万円以下でなければならなかった。それは年額である。父の収入はそれに該当した。その状況で私の学費と生活費を仕送りするとしたらどんなに大変であったことであろう。奨学金は月額7500円であったが、高校の時より物価が上がっていて、今の15万円相当くらいであった。しかし、特別貸与奨学金を得られたため、家庭教師のアルバイトをするだけで、全部まかなえるようになった。それで、父にはまだ妹の学費をだすことが必要だったので、父に仕送りを断った。

大学を卒業するとき、今、学生たちが就活といって騒いでいるそれを全くしなかったが、就職担当の教授がオレのところにこい、といって助手・・今の大学の職位の制度では助教という(大学の研究者で、学生に教えもするが助教授ではない。助教授は、今は准教授という)・・にしてくれた。現在では、修士の学位がなければなれない職であるが当時は教授の采配ひとつであった。それで大学の研究者として、給与をもらいながら、教授の手伝いと自らの研究をしつつ、修士課程の授業も、博士課程(それはほんの僅かで研究がほとんど)の授業も全部聴講させてもらえた。
助手を7年したが、博士論文を書くことができなかった(論文博士といって、論文の審査だけで学位をもらえる制度)ので、民間企業に就職しなければならなくなり、時計メーカーの第二精工舎・・SEIKOの製造会社・・の仙台にある子会社、当時は仙台精密材料研究所という名であって、時計用のゼンマイとヒゲゼンマイをSEIKOに供給するために作られた会社に就職した。2年ほどゼンマイ、ヒゲゼンマイの技術者をつとめたが、SEIKOで電子時計(クォーツ時計・・水晶の音叉を、時を刻む素子・・機械時計のテンプに当たる・・としているので、水晶(=クォーツ)時計と名づけた)を作り始めた。時計の動力源はゼンマイでなく、電池になると考え、ゼンマイを作っていた仙台の子会社で電池の仕事をもらった。その関係で、私も電池の開発の仕事にまわった。
 時計に使っているボタン形電池は、SR44(UCC301)という、エジソンの会社(ユニオンカーバイド社=エバレディー社・・今はソニーとの合弁会社をつくって生き延びている)が作った大きなサイズの電池しかないときであった。それで、もっと小さいものを作ってくれ!というのが時計設計からの要求であって、営々とその開発に取り組むことになった。多くの課題があったが、その中でも液漏れが大変であった。酸化銀電池は正極缶、負極缶、絶縁と封止のためのガスケット、正極材(酸化銀)、負極材(亜鉛)正極材と負極材を隔てるセパレータ、そして電解液(アルカリ液)を主な材料としている。それで時計用の酸化銀電池はアルカリ電池の一種ということになる。 アルカリ液は金属の表面を広がっていく・・金属板を立てておいても昇っていくのである・・クリープという性質があって、閉じ込めておくことが困難である。
 アルカリ電池が漏液するので、多数の欧米の化学者たちがアルカリ電池の漏液を防ぐために、なぜ漏液するのか、どうすれば封止できるのかと多くの研究を行い論文が発表されていたが、結論は「分からん!!」であった。やがて実用に耐えることのできる電池を作れるようになり、量産化し、SEIKOに供給するようになった。
 そのようなときに、国は企業に在籍したまま大学院に入学できる社会人入学制度を作った。 その制度に立って、私が助手をしていた時、同じ研究室で助教綬(今の准教授)をしていた人が教授になってその研究室にいて、私に大学院に入って博士号取得を目指しませんか?と声をかけてくれた。 私の会社、仙台精密材料研究所は、セイコー電子部品という社名を経て、そのときはSIIマイクロパーツと呼ばれていたが、工場長がその会社を仕切っていた。工場長にその話をしたところ、酸化銀電池の漏液する原理の解明に関する研究を許可し、大学の学費を会社で払ってくれた。
 もちろん会社の技術屋の仕事をしながらであるが、3年でアルカリ液が電池から漏れ出す機構の解明に成功した。それは化学と機械工学の両方にまたがるものであったため、化学者たちの手に負えなかったのだが、私は機械工学の分野から電池という化学の分野に進んだのでその研究に適していたのである。 それを論文に書いて、東北大学から学位をもらうことができた。

周囲の人も、会社の上司や国までも動いたのは偶然といえるだろうか?