同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 神の導きを求めて —

miwa-san

玉城 春恵


(写真は剣道大会から)

「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。」(テモテⅡ 1:7-8)

  新しい年を迎えて早半年、上半期を終え、下半期への歩み出しがなされようとしています。
 ここまで私たちの家庭も教会と共に歩みがなされ、一人一人の持ち場立場においての生活が神によって支えられ、守られていますことを感謝致します。
 下半期を迎えるにあたり、私自身、救いを頂いてからここまでの道すじを振り返らせられています。21歳で救いに与り、クリスチャンとしての歩みを始めたものの、片足は教会、もう片足は世の中といったような、中途半端な信仰生活をしていた者でありました。
 それでも神の愛は私を手離さず、2011年2月、29歳の時に今の主人との結婚に導かれ、その翌年には長男、その2年後に次男が与えられ、母親としての責任も神は私に与えて下さったことであります。
 2016年11月からは、新居にて主人の両親と義妹との同居生活、家族7人3世代で共に生きていく生活が始まり、早2年半が過ぎました。子ども達も長男7歳、次男5歳になりまして、それぞれ小学校1年生、幼稚園年中組になるまで成長が与えられ、日々の生活を送っています。
朝、子ども達を送り出した後の一人で過ごす時間に、自分自身のこれからの歩みを考えさせられます。
 家族のために、教会のために、自分は何ができるのだろう・・・?
私は、救い、結婚、出産、・・ひとつひとつの出来事に、神にとらえられ、決意があたえられ、その歩みは荒々しいものはありましたが、神に従い歩み出していきました。そしていつもそこに神の大きな恵みと愛が私を支え、歩ませてくださったことを思います。
「我が主への献身」と題して、週ごとに語られる礼拝メッセージを伺う時に、私は、ここまで愛し、導き続けて下さっている主へ、何をもってお返しできるのだろう?と思います。
今私の中でまた新たな変革が求められているように感じます。いよいよ神の細き摂理の道へと歩み続けていくことができますように、日々、御言葉と祈りをもって、主が私に与えて下さっていることの中を、へりくだって主とともに歩ませて頂きたいと思っています。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)