同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 教会創立記念をおぼえて —

kokoro-san

森田 心


「そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。 群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。」(マルコ 2:3-4)

 1951年6月30日が私達の教会の創立の日で、6月末に記念の時を持ちました。
例年色々な形でこの記念をおぼえ、又共に愛餐の時を持たせていただき、年を重ねた方々も若い方々も、神に愛され建てられ続けた教会の一員として共に喜び、又、それぞれの守るべき所を見つめさせていただき、この記念を覚えてきました。
 今年は礼拝の説教で「キリストの体なる教会」と題して創立記念のメッセージが語られました。冒頭の聖句が開かれ、知るに止まらず、探り、行い、その中でつかみとったものを離さず守り続けることの大切さが語られました。神は、私達が生き抜いてきたこの教会の中に、四隅をかかえてイエス・キリストの前に吊り下ろした4人の信仰者と同じような教会の働きの担い手を備え続けて下さいました。更にそこに信仰の一致があって事を起こす時に、神は確かに私達の信仰を受け入れて下さいます。そして一人の人が救われることの尊さを値高く値積もり、それを大切にして生きる群れであったこと、これからもその信仰を守り続けていく大切さが示されました。
 私も愛する方が私を抱えて離さずにいて下さり、キリストの十字架の御元まで運んで下さいました。その愛する方々によって私はキリストの血潮の贖いに与ることが出来ました。だからこそそれを知る者は四隅を離さず守り続けることができると思います。
 そして一人ではなく今も、長い年月を共に歩み続けた信仰の友がいるこの教会で創立の記念を感謝することが出来ました。
 私も四隅の一つを離さず持ち続けることの出来る信仰者でありたいと願います。

(仙台聖泉キリスト教会 会員)