同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 頭だけのクリスチャン —

山田 行


「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。  」(詩篇 16:8)

  4月は私の誕生月で55歳になりました。また新たな一年を上記の御言葉のように主をいつも見上げつつ、どんな時も共にいてくださる主に感謝しながら、ゆるぎやすい私ですがゆるぐことがないようにと心に刻みながら歩ませていただきたいと思います。
 それですので、もう40年近く前のことになりますが、私にも高校生時代がありました。私の高校はキリスト教のミッションスクールでしたが、クラスメートにお寺の住職の娘さんがいました。私は教会の牧師の娘でしたので、友人達をはじめ先生方にさえも、何かあるたびに、教会の娘対お寺の娘と面白がって比べられていました。そのお寺の子も私も明るく剽軽な性格だったので、皆が面白がるならそれに乗って、対決ごっこしましょうか、みたいな感じで面白がっていました。
 勉強はその子の方が良かったようで、「教会の娘負けるなよ!」と試験のたびに先生に言われていました。でも運動は断然私の方が得意で、あちらは跳び箱が怖いといって飛ばずに脇を走り抜けていくこともあり、みんなを笑わせてくれたりしました。
 それに彼女はどんな人にも同じ態度で受け入れて面白おかしく接するので沢山の友達がいたと思います。やるねーと感じた時がありました。当時の私たちの共通点は親がそれぞれの宗教を真面目に生きていることを、どこか冷めた目で見ていたことでした。一方で、お互い自分の宗教こそが本物だという意識も強く、変なプライドがあったりと面白い関係だったと思います。
 そんな私ですが、まだその時には十字架の救いや神様の豊かな愛を本当の意味ではわかっていませんでした。しかし教会の娘という看板を背負っていたので、学校の集会では宗教の先生に頼まれて何度も証のようなものをし、その度に「教会へ行ってみてください。」と全校生徒に語っていた思い出があります。
 生まれた時から牧師の家庭で育ったのですから教会のことやキリスト教のことも頭ではわかっていたと思います。それだけに、神様や信仰とはこんなもんだ、と自分の都合の良いように語っていました。今考えると本当に幼かったですし、神様に対して無礼であったと思います。
 その後私はイエス・キリストの十字架の血潮によって真の救いを体験し、罪を赦していただき神の子どもとしていただきました。しかしその尊い愛の御業をずっと忘れないで感謝しつつ謙遜に生き続けるべきなのに「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざのように、すぐに忘れてしまう自分がいることを感じます。信仰生活の問題、課題、悲しみ、苦しみに出会う時、信仰者の人生といってもこんなものだ、と開き直ってしまう自分、高校生の時と同様に、いまだに神様を都合の良いように勝手に捉えてしまう自分が繰り返されます。
 そんな私に対して、最近、御言葉と生きたメッセージによって神様から示されることは、本当に自分が砕かれ自分の真の姿を知らされ悔い改めが必要な時は潔く悔い改め、神様の御手の中にお任せします、と告白し続けなくてはいけないということです。そして告白の先には具体的な働きが必要であり、喜んで神様の御心を求め、それが示されたら喜んで従うことが出来なくてはならないということです。
 今この年齢になって、私は生きた神様と本気で歩みたいと願っています。具体的に問題、課題、戦いがあるときに、自分の願うようなことではないことも喜んで従うことが出来るよう、その時は悲しくてつらくてじたばたしても、これは私を十字架の血潮で救って下さった神様のご意思であることを信じて従い、こんな私を赦して下さった神様への感謝を忘れずに持ち続けることです。
 いつまでたっても頭だけのクリスチャンであったら真の神の御姿を知ることも心から従うことも出来ず、信仰の醍醐味を味わうことが出来なかったと思います。自分の都合の良い神を作り上げるような愚かをせずに、謙って真実に歩み続けたいと思います。

(仙台聖泉キリスト教会会員)